本

『202人の子どもたち 子どもの詩2004-2009』

ホンとの本

『202人の子どもたち 子どもの詩2004-2009』
長田弘選
中央公論新社
\1365
2010.7.

 讀賣新聞に掲載している、子どもの詩というコラムの中からいくらかを選りすぐって一つの本にしたものだという。
 小さなサイズが詩の本だというムードを伝え、ゆったりとした編集が、言葉の余韻をもたらしてくれる。中にあるのは、保育園世代から、中学生までの子どもたち。言葉が難しいものではないだけに、どの大人にも読めるようになっているのではあるが、その感覚がまぶしすぎて、大人にはついていけないところがあるかもしれない。
 しばしば、子どもは詩の天才であるなどと呼ばれることがある。私は必ずしもそうとは思わない。とにかく子どもは、語彙が少ない。自分の知っている語彙の中から、目の前の情景を説明するための言葉を選んでくる。ところが状況を精一杯説明しようとして自分の知る言葉を探すという事情の故に、事態を表すのに不向きな表現ではないはずだ。しかも、それは大人が用いる言葉の組み合わせとは違う。大人はもっと言葉を知っているから、適切な用語を持ち出すはずなのである。こうして、自然と、子どもの持ち出した貧しい語彙故のその言葉が、新鮮な比喩であったり、説明であったり、大人がハッとさせられるのである。これが、詩の天才だというふうに見える背景の多くの部分であろうと思う。
 だとしても、この本にはさすがに選りすぐられたものばかりが掲載されているのであって、光るものがたくさんちりばめられている。
 告白するが、私は電車の中でこの本を開いていて、涙が流れた。何故か、などと簡単に説明はできない。ただ、その言葉が、世界の真実の一部分を確かに言い当てていることは間違いないと思った。それで、心の琴線に触れるというようなあり方となり、涙腺がゆるんだのかもしれない。
 ここに引用したい誘惑を逃れよう。それはきりがないことだ。また、引用することによって、元々の詩の輝きを失わせるようなことがあってはならない。
 語彙が少ないが故に生まれる表現であるかもしれないが、私自身がこの現状の世界からつまみ上げられて、浮かび上がるような感覚を、幾度経験したことだろう。これらの言葉は、魔法のように私の心を操った。ドキリとすることもあった。分かり切ったような顔をして、大人がえらそうにしているのとは裏腹に、子どもたちは、的確に問題点をずばりと指摘する。避けずに、まともに構える。しかしそれは、幼子のようにならなければ神の国には入れない、とイエスが知らせたような、素直さである。自分が低い立場であることを十分心得ているが故に生まれる言葉でもあるのだ。
 大人の発想に浸りきった日常から、ほんの少しでも別の世界に旅してみたいとき、この本は実に簡単に手に入るパスポートである。このチャンスを活かして、多くの方がこのさわやかな涙に出会ってほしいと願うのだ。




Takapan
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