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『一度読んだら絶対に忘れない国語の教科書』

ホンとの本

『一度読んだら絶対に忘れない国語の教科書』
辻孝宗
SBクリエイティブ
\1500+
2023.9.

 国語も塾で教えることがある。特に前年度、急遽高校受験生の最後の指導をすることになり、とにかくやるしかない、という中で挑んだが、生徒がよくついてきてくれた。過去最高の合格実績を出したのは、もちろん私のせいだなどというつもりはないが、生徒の頑張りを支えることができたのはよかった。
 この「一度読んだら……」はシリーズ化していて、社会科関係は、福岡の高校の教諭の手によるもので、絶大な人気を誇っている。息子も世話になった。今回新たに「国語」が出たというので、関心を寄せた。もちろん、闇雲に買うようなことはしない。内容の紹介や評判を見て、またできれば店頭でめくってみて、考えることにしている。
 それで、買うことにしたわけだが、それは、通り一遍の、問題例を掲げてその解き方を指南する、というものではなかったからだ。具体的に、文章を前にして解説する、というのは授業でいくらでも実践している。だが、ベースになるもの、ポリシーといったものを伝えるものは、多くはない。あったとしても、やたら自分の信念を貫くというだけで、他の教師には参考にならないものに出会うことがあり、がっかりする。
 今回はどうか。その「信念系」といえばそれに属するだろう。そして、私もそれに全面的に身を寄せるつもりはない。だが、教えられることが多かったのも事実である。あるいは、私のしてきたことをバックアップしてくれる要素もあった、と言ったほうが適切であろうか。
 筆者は、西大和学園という、甚だ優秀な生徒を集める奈良の学校である。私も京都にいたから、その秀逸さは肌で感じている。そこで教えるとなると、ただのテクニックだけでできるとは思えない。意識改革が必要だと思われるのである。
 本書の基本的な姿勢は、現代文と古文、それに漢文までも、同じ土俵で扱おう、というものである。それらは別々のものではない、ひとつに溶け合うものである、とでも言えばよいだろうか。詳しくはもちろん本書の主張をご覧戴きたいし、私が誤って紹介することは、誰のためにも益にならない。
 ただ、それだけではない、ということは付言しておくべきであろう。
 たとえば、「読解」の本質について、最初のほうで触れるが、これがたいへん分かりやすい。そもそも本書は、活字も比較的大きく、行間も緩やかである。200頁を超えるが、分量はずっと少ない感覚がある。また、5分の1は単発的な知識を問う練習問題となっているため、実質的なレクチャーはさらに少なくなる。但し、そこにはいわゆる実践的な問題検討というものはないから、全編がレクチャーであるとすると、教えてもらえることはたくさんある、と考えたほうがよいような気もする。
 話が逸れた。「読解」であった。それは「読む」こととは違う、と書かれている。日本語の構造なのか文化なのか習慣なのか決められないが、私たちは、「察する」ことを大切にしている。論理的に言葉が動くのだ、などとは誰も考えていない。言葉の裏にあるもの、表向きに言明していることからその背後にある心というものを、互いに察知し合うことによって、社会や人間関係を成り立たせている。この日常があるために、文章にしても、表面上の言語の向こうに、ほんとうに言いたいこと、分かってほしいこと、伝えたいこと、そうしたものが隠れている。しかし、私たちはそれを周知のものとして理解し合って生活している。それを覚るのが「読解」なのである。
 こうしたことを軸として文章を読むように、と明確に指導することができたら、それは生徒も、読むコツをものにしてゆくことだろう。これはこうだ、あれはああだ、と逐一ケースバイケースで解説しても、生徒は何をどうしてよいか分かるまい。それこそ察しのよい生徒だけが、自らそれを心得て、国語の問題がどんどん解けるようになってゆく、というだけのことであろう。本書が優れているのは、それをできるだけ分かりやすく、従ってひとつのことをゆっくり丁寧に繰り返しながら、諭してゆくように語りかけるところである。授業の雰囲気である。しかも、ひとつの項目が4頁単位で展開してゆくため、一つひとつの項目をクリアしてゆく感覚で読め、また内容をプロットしていきやすい。構成も優れていると言えるであろう。
 また、「語彙」を重んじている点も、賛同できる。中学生を見ていても、とにかく語彙が少ない。日本語を話して暮らしているであろうが、言葉を知らない。もっと背伸びして、大人社会の言葉へも首を突っ込んでよいだろうものを、仲間社会だけの会話で満足しているようなのだ。それは、本を読むことによって賄われる問題でもある。つまり経験である。言い回しも、使い方も、現実の本の中で大人が、しかもいわゆる教養ある大人が使っているその海で泳いで、それで身についていくものであるに違いない。英単語帳から一つひとつ単語を暗記していくのとは違うのである。私は、事ある毎に、語彙を増やす努力を日々するように、話している。それを自分の問題として実践している生徒は稀だろうが、とにかく言い続けなければならないと考えている。その語彙の重要さを真っ向から諭す本書は、やはりよいものがある。
 文章には型がある、というのも慧眼である。これも実は、様々な本を読んでいくと自然に身につくものであるはずなのだが、論ずるにあたり、手法というものがあるのである。それは、実は、いま私がしているように、自分の考えを書くことによって、初めて実感できるものである。どうすれば考えが伝わってゆくのか、どうすれば興味をもって読んでもらえるのか、また間違ったことを言わないためには何を配慮すればよいのか、そうしたことを常に念頭に置きながら、言葉を取り出してゆく。要するに、書けば、いま読もうとしている文章の書き手の気持ちが分かる、というものである。自分がサッカー選手をした経験があれば、目の前で繰り広げられるサッカーの試合の展開が分かるのと同様である。本書は、この「書く」ということへの視点はなかった。内容を絞れば、それは仕方のないことかもしれないが、この著者に、今度は小論文についてレクチャーしてもらいたいものだと思った。
 語彙については、そこで古文や漢文の背景がものをいう、という考えであるようだ。最後に問題が並べられていて、漢文の教養がないと答えられないものが幾つかあったが、私は、漢文の占める重要性は、相対的に下がっていると思う。無意味だとは少しも思わないが、実用上、古文のほうが役立つはずだと思う。言葉の由来にはやまとことばのほうが大きく関与しており、そこに、また概念形成のきっかけがある。つまり、日本人が物事について考える心理や哲学のようなものが、古文に基づいている場合が多々あるはずなのである。その意味で、古文の語を重んじるというのであれば、なるほどその通りだ、と言わざるを得ない。
 最後に「文法」の重視が解かれる。これも具体的で、しかも戦略的で、役立つはずだ。私も国語で教える時に、「しかし」の次をチェックせよ、と指導するが、いわばそうしたコツを、著者はここで語っている。これはかなり具体的に有効であろう。ただ、これを「そうだそうだ」と納得してすぐに実践に移せるのは、現場で指導している教師ではないか、という気もする。あるいは、生徒だからこそ、素直にこれらを公式のように実行していくのかもしれないから、優秀な生徒は、素朴にそうやってまたうまくやってゆくのかもしれない。
 本書で十分だとは言わない。だが、必要な旗をたくさん立ててくれていることは間違いない。うまく活用していけるかどうか、はその生徒次第であるが、いま述べたように、これはむしろ、私のような国語の成績を生徒に上げさせたい者にとって、非常に有用なものである、ということは言ってよいと見ている。




Takapan
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