本

『はじめての宗教論 右巻』

ホンとの本

『はじめての宗教論 右巻』
佐藤優
NHK出版生活人新書
\819
2009.12

 なかなか過激な雰囲気をもち、ズバズバと言ってのける印象を与える本である。サブタイトルは「見えない世界の逆襲」となっている。神学をも学び外交官でもあり教師でもあるという魅力的な著者である。同志社大学の神学研究科を卒業している。
 まずそのサブタイトルのように、見えないものに実は惹かれている現代の危うい部分を指摘することが必要とされている。
 特徴的なのは、スピリチュアル現象にはっきりとノーを突きつけているところだ。当然やっていいのに、今まで何が怖くてか、そういう突きつけなど殆ど誰もしてきていなかったのではないか、と思われるほどだ。しかしその見えないものが気になって仕方がないのだから、宗教が何もなくなるわけではないという気持ちは伝える。
 この辺り、著者の断言は心地良いように感じる。その立場上、プロテスタントの一部の立場から語る、と著者は最初に宣言しているわけだ。およそ客観的な言明というのが、神学的にも成立しないのではないかという姿勢には、私は共感する。如何なる命題であっても、人がそれを口にするとなると、その立場立場に応じて真偽のほどが違ってくると思うのだ。自分の立場から神学を提示するというのは、当たり前の姿勢であるのだが、そう誰もがやっていることではない。自分の捉えた神学が普遍妥当的だと勘違いする熱い議論が、世の中になんと多いことだろうか。
 まだ、残りの巻があるという。そちらの方で、さらに著者の色が濃く出てくるのではないかと推測される。マルクス主義への力の注ぎも含め、現実の政治に携わった人物としての視点が、本分となっていくのであろうか。
 頭のよい人であることは間違いないし、世界というものも知っている。力強いその言明は、魅力を感じる人にはたまらない魅力であるのだと思う。それがここに神学という立場で迫るとなると、本来キリスト教世界にも大きな影響を与えて然るべきであるのだろうが、これまた安穏としたキリスト教界はこうした風雲児の運動にまともに関わることがないのかもしれない。
 新共同訳聖書について、カトリックの立場を存分に通しているという書き方は、いろいろな立場による箝口令があるのか、なんとなく感じられていながらも、あまりはっきりと言い表されてこなかった事実である。それを堂々と告げている点だけでも、私はこの本にひとつの意味があることを思う。なかなか日本語の聖書翻訳には、本当にそれでよいのかという疑念ばかりがつきまとうものであるけれども。




Takapan
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