本

『奇跡を起こすたった1ページのノート術』

ホンとの本

『奇跡を起こすたった1ページのノート術』
知的生活追跡班編
青春出版社
\1290+
2017.4.

 シンプルな装丁で、ノートを開いたイラストがあるだけ。タイトルは魅力である。ノートについては私もうるさい。ただ、ノートという製品についての本ではないような気はした。ノート術なのだから、ノートの書き方なのだろう。少しわくわくする。
 最初のほうは、悪いという気は起こらなかった。縦線一本で分けることで見やすく書きやすく、そして整理しやすいノート面になる、というのは、よく分かっている。A4サイズのノートの利用価値についても、尤もだ。1ページに1つのポイント、というのも肯ける。というより、これらは私にとりなにも新しい情報でもないし、ここまで実際のノートの使い方があるような印象はなかった。具体的な書き方や実例などはなく、どこも抽象的な方法論ばかり書いてある。
 すると、1ページを3つに分けるとよい、と書かれてある。先ほど、中央に縦線を引いて2つに分けろと書いてあった。舌の根の乾かぬうちに、今度は3つに増えている。この辺りから、私は懸念を抱き始めた。その場限りの、いろいろなノート術の本の寄せ集めのようなものではないだろうか、と。
 誰かが実際に試してみたとか、いつもこうしているとかいう息吹が少しも感じられない。手帳術なら、誰それの手帳はたとえばこんなふうに、と写真が載せられていることが多い。だがこのノート術の本は、ついに誰の実例もなく、またイラストで図示される実例は、活字が並ぶノート面が多く、手書きが加えられていても、現実味のない、いかにも頭であみ出した使用例でしかない。尤もらしく見えるのだが、現実性が感じられない。ほんとうに誰かスタッフの誰かが、そのようなノートを使ってきたというのだろうか、疑わしくなってきた。
 そして、私にとり、次のページは意味が大きかった。「硬度が17種類もある日本のエンピツ」という見出しだった。9Hから6Bまで、17種類あると図示までされている。ここで私はすっかり醒めた。では私の持っている10Bは、日本のものではないのだろうか。実はこれ、かつてのJISマークが幅を利かしていたころ、そういう取り決めがあり、一応今もJIS規格なるものはあるのだが、市販品には6Bより濃いものも普通にあるというわけである。恐らく本書の制作者は、ネットで検索して、JIS規格は17種類というのを見て、日本には17種類しかない、と理解したのだろう。記事にはそのJISの文字を外して、「日本で」の硬度は17種類、としてしまったのではないかと推測する。実際の現場や現実を盛り込まずに本を作っている姿勢は、このようなところにも現れてしまった。
 とにかくたくさんのアイディアが次々と紹介されるのであるが、どれもあちこちから引いてきたようなふうに見えてくる。実際、最後のページには、次の文献を参考に……と正直に明かしてある。その数が半端ない。これらから一つずつ記事を引っ張ってきただけで本書は完成しそうである。
 さらに、ところどころに、真っ白か方眼かで、ノートのページのようなイラストがあり、「やりたいこと」リスト、などとタイトルがあるだけの1ページというのも見かける。いったいそれに何の意味があるのだろう。せめてそこに、使ってみると役立つ罫線の実例でもあればよいのだが、これ、ただの方眼のノートがあって、そこにその文字があるだけである。「戦略を簡略化して書き出してみよう」というのもあるし、その他いくつもいくつもそれがある。あるところには、そこに実際に書き込んでみて、書いたら切り取ってノートに貼ろう、などと書いてある。そのページの裏に説明の文章があるのに? いったい誰がほんとうにそこに書き込んで、切り抜く? そのためにこうして何ページも空白をこしらえ、ページ稼ぎをしているとしか思えないことをしているようにしか見えない。本書は192ページある。紙の裁断の関係であろうが、本には規格のページ数というものがあり、そのうちの一つが192ページである。つまり、どうしても都合上192ページにしたかった故、意味のない空白とも言えるこうしたページを乱発したのである。
 そして、最も迷惑な点を挙げよう。表向き、学生が惹かれるかもしれないタイトルやデザインである。講義ノートの知恵を求めているとき、目に留まるタイトルであるとも言える。しかし、中にある「活字」の多いノートの実例は、悉くビジネスのものである。ビジネスのアポなり資料活用なりのためのノートであり、あとはビジネス的な自己啓発のための手段である。自分の夢を書こうとか、反省日記をつけようとか、それらしいことが推奨されているが、例によって具体的に誰かがやってみたらどうだったなどという気配は少しも感じられない。ビジネスや自己啓発のノートなら、それなりにその点を外から見えるところに記したらどうなのか。「奇跡を起こす」とわざわざ朱で頭に書かれているが、これでは奇跡どころか、この本を読んでさあそれでは具体的に何をしようかと思っても、たぶん何もできないであろう。ノーマルなことすら始められない。たとえば最初に挙げた、線を引いて画面を2つか3つかに分けようと誘いかけても、その後の「活字」モデルのノート例の中に、ついぞそのように分割したものは見られなかった。
 タイトルにはまた「たった1ページの」も付いているが、さて、何が1ページだったのだろう。欲張って情報を盛り込まず1ページに1つとせよ、という同じことがかなりくどくどと記されていたのと、スピーチ原稿は1ページの中に簡潔に書けというのがあったが、ほかにはあまり記憶がない。書き込むにはまずは1ページに書き込むものであろうから、わざわざこんな期待させるタイトルを付ける必要はまず感じられない。しかも、初めのほうには、小さなノートでも見開きで書けて便利、などとあったくらいだから、これでは2ページである。
 最後のアイディアは、「気づき」ノートを作る、というものであった。方法論や構えは書いてあり、精神的にその気にならないでもないが、ついにノートの書き方には触れていなかった。これは、「気づこう」という提案なのであって、決して「ノート術」ではない。まことに、「ノート」に期待する読者は、最後まで裏切られてしまうという有様である。
 著者名のないグループ製作だが、案外一人しかいなかったのかもしれない。この手の本はビジネス棚に捨てるほど並んでいるが、それでもいくらかは売れるのだろう、いつまでも新たに出てくる。その都度期待して買っては無駄な時間と出費とを重ねるビジネスパーソンが、それほど多いということなのだろうか。 




Takapan
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