本

『1リットルの涙』

ホンとの本

『1リットルの涙』
木藤亜也
幻冬社文庫
\559
2005.2

 2005年晩秋、テレビドラマにもなり、広く知られるようになった。
 前年、映画にもなっている。映画は、この亜也さんの日記を、概ね忠実に再現している。
 だが、テレビドラマは、原作とは全然別のものであった。何もかもが違う、と言ってもよく、つまりは別の物語として視聴したほうが、分かりやすい。実は私も、見たのは最終回だけである。
 それはともかく、私と同世代の人が、若くして亡くなっており、それも、ただ死を待つだけの病であったということである。頭脳のほうは明晰であるのに、運動機能だけが利かなくなっていくという辛さであり、進行を遅らすことはあっても止めることはできないというのだから、残酷である。
 かつて話題に上った本が、どういう形にしろ、再び脚光を浴びたというのにも、意義があるだろう。そのときだけのお涙頂戴でなく、何か人として生きる普遍的なもの、さらにそれが今の時代に何か重なるものがあったからこそ、人々の心に響いたのであるに違いない。それは何なのか。
 病気に打ち克つ、あるいは病気と闘う話は、自分を信じる力であるとか、友だちや家族の支えであるとか、夢を棄てない思いなどが、バックボーンとなっていることが多い。それが、信仰に関わるのであるとすれば、それはもうすでに、宗教の伝道のためのものとしか受けとめられかねない。
 亜也さんの場合も、ご本人は、聖書を机に置き、聖書の言葉を心の支えとしているところが、日記の中に確かに見られる。だが、これは、ドラマ的にはクローズアップしてはならないものであった。映画の中で一瞬聖書が机の上に見えるのと、入院中に聖書らしい本が手元に置かれているのが映る程度でしかない。
 だから、彼女の日記、つまりこの本のほうが読まれることのほうが、ずっとフェアである。それは、先に『ラスト・レター』を紹介するときにも同じ思いであった。
 なお、同じ文庫の『いのちのハードル――「1リットルの涙」母の手記』という、母親である木藤潮香さんの方では、この信仰についての言及が全く見られない。医療従事者としての母親の、的確な医学的視点と、母親としての愛情などが、時に医療や介護の現場への厳しい批評と共に、よく現れている。そして、日記だけでは理解しづらい背景を、よく補ってくれる。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります