本

『文は一行目から書かなくていい』

ホンとの本

『文は一行目から書かなくていい』
藤原智美
プレジデント社
\1365
2011.5.

 福岡出身の作家である。2008年の本で、一度このコーナーで取り上げたことがある。私の考えているようなことと似た部分があるとそのとき記している。
 悔しいが、今回もそうだ。そして、今回もまた、この本のタイトルは本当にこれでよかったのかどうか、疑問をもっている。確かにそのことも書いているのだが、それではまるで、文章の書き方のハウツー本のようなのである。
 白い地味な表紙に並ぶ黒い文字。だからまたそれが際立つのであるが、実にシンプルではある。サブタイトルは「検索、コピペ時代の文章術」とある。これもまた、中で触れている事柄である。その意味で、嘘はない。だが、私は何か物足りない。この本には、そんなケチなことが書かれていてそれで終わり、というものではないと思うからだ。
 本書には、イラストが一切ない。唯一の画像は、最後の最後に、本のカバーに著者のカラー写真があるのに出会うだけである。この地味な装丁でこれだけの、失礼だがだらだらとした文章によりできた本を最後まで読み通す読者というのは、基本的に文章がちゃんと読める人であるだろう。文章を書くということのうちに、まず読むことができなくなった現代を指摘している著者としては、この本の形式は失敗だったのではあるまいか。あるいはこの本のタイトルだけに惹かれて本を開いた人も結局のところまともに読み通せず、タイトルにあった言葉だけを手がかりにして文章を書いてみたらそこそこ書くことが楽にできた、というような効果を狙って、本のタイトルを付けたのではないか、とすら思う。
 ハウツーを期待したビジネスマンは、失望するだろう。なんら、テクニックめいたものは書いていない。あるとすれば、文章という自己表現、ないし読解力が衰退している時代批評、それからまた言葉の浅薄化といった事態への懸念といったところであろうか。
 文章を書くことにうまくなるには、日々自分の内面を見つめて書き続けること、といった結論めいたものがあるだけで、その他には、皆無とは言わないが、あまり分かりやすい実例はない。
 なんのことはない。私が日々実践していること、それだけである。また、読解についても私がしばしば考えていることが明らかになっていることが多い。あまりセンセーショナルな刺激を与えて人目を惹こうとするような小細工も感じられない。非常に様々な立場の人のことを思いやり、鑑みての記述となっている。実に配慮された叙述なのである。
 日常生活の中でできる、ちょっとした提案は、あまりにも地味である。しかし、文章を綴るということにかけては嫌がることなく、どんな要求にも応じられるのではないかと思うくらい文章作成を日常としている私にとっては、ここに記されているいくつかの素朴な提案が、実に的を射た優れた方法であるかが分かる。派手なパフォーマンスはないけれども、そして経験のない方々にはまさかと思われるかもしれないが、私は書いてあることはつぶさに理解できたつもりだ。
 全体的には、講演会を聞いているような印象があった。講演会の原稿である、というつもりで読んでみるのもよいかもしれない。しかし、Q&Aでもないし、HowToものでもない。結局のところ、読者が自分自身で自分と対面して問いかけるような過程がなければどうしようもない。そしてそれが、この本の通奏低音に流れる音楽であった、ということになるだろう。つまりは、考えることが必要なのだ、と。
 この本を頷きながら読める人は、きっと、文章を綴るセンスをお持ちだと思う。この本は、何かのやり方を教えてくれるとは思えないが、ひとつの出会いとして、読者に大きな何かを与えるきっかけとなるであろうと思われるのであった。




Takapan
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