本

『19世紀の牧会者たちU』

ホンとの本

『19世紀の牧会者たちU』
C.メラー
加藤常昭訳
日本キリスト教団出版局
\2400+
2003.6.

 シリーズ「魂への配慮の歴史」の第10巻。原典は三分冊に過ぎませんが、日本語訳のシリーズでは全12巻にもなった。そのうちでこれは、最も薄手なものなのだそうだ。
 大きなシリーズの中であるから、この一冊に取り上げられている牧会者はわずかである。キェルケゴール、レーエ、ブルームハルト親子の4人である。偶々本書だけが、古書店のワゴンに安く置かれていたのと、このメンバーを見て、即座に買いだと判断したのである。
 とくに、こうした場に、キェルケゴールを含める研究者は、さほど多くあるまい。確かに、不安や絶望といった概念について、世界に大きく与えたユニークな著書をもっている。本人の人生は考えすぎだとも言われるほどに苦悩し、またその著書にしても生活を裕福にするようなものではなかったが、死後に大きく認められたという、本人にとっては複雑な事情があるわけだが、実存哲学の走りとされ、人類思想史に確かに大きな影響を与えたことは間違いない。しかし、牧会行為をしたとは言えないし、自らも、牧会――すなわち魂の配慮――をしたという意識はまるでなかったであろう。そのことは、この著者も認めている。だが、紛れもなくキェルケゴールは、人々に魂の配慮をする貢献をなしたのである、という観点から、その人生を辿り、その発言のいくつかを集めて、ここに大きく掲げたというわけである。
 本書は、一人の人物について、つねに一定の形式でまとめている。伝記をまず説き、代表的な言葉として、有名な語や気になる文を引用し、コメントする。そして、感化と評価と題して、私たちへの関わりや現代的意義を考察する。
 レーエにしても、風変わりに見えないこともない。罪の告白と教会共同体においての交わりは、私たちにいま適用するにはどうなのかという気はある。しかし、その真摯な問いかけは、私たちの胸を打つ。
 ブルームハルト親子は、どうかすると怪しい霊的な行為にも見え、読む人によってはオカルトかと思わせるものがある。しかし、ドイツの優れた説教者は、この2人の名を重んじる。神の国を慕い、祈りをあつくし、神の霊の力を届ける役割を果たしたのである。
 一定の、おきまりの紹介ではない。痛いところも痒いところも、私たちに提示する。当時の社会の要請や、人々の考え方にも関係はするだろう。しかしこれだけ様々な人が、別々の形で「魂の配慮」という一つの筋の通ったものについて貢献してきた歴史を辿ることは、決して無意味なのではない。私たちは、いま置かれたこの場所で、新たな「魂の配慮」を求められている。イエスにより配慮されているのは当然でもあるが、私たちがまた隣人に対して、それをなすのでなければならない。こうしたテーマによりつくられた大きな本を、少しずつ分冊にして出版したことは、あまり日本で評価されていないように見えなくもないが、大きく取り上げて然るべきではないかと私は思う。伝道の行き詰まりや失敗観も、魂の配慮という原理から見れば、新たな地平が見えてくるのではないかと思われるからである。但し、西欧におけるその見え方と、日本におけるその見え方とでは、意味が違う。必ずしもここに書いてあることそのままにできはしないし、すればよいというものでもない。私たちはそれを弁えていなければならないが、新たなチャレンジを受ける気持ちは、持ってよいし、持つべきではないかと思うのである。




Takapan
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