本

『14歳からの個人主義』

ホンとの本

『14歳からの個人主義』
丸山俊一
大和書房
\1500+
2021.11.

 NHKのプロデューサーの中でもトップで、楽しく拝見している猫の番組も担当しているという著者。経済畑のようで、以前には類書として資本主義に関するメッセージ本を著している。今回は「個人主義」というテーマに沿って、中学生に呼びかける内容となっている。サブタイトルに「自分を失わずに生きるための思想と哲学」とあり、こうしたタイトルが内容の要点を正しく物語っている。
 夏目漱石に「私の個人主義」という本がある。私も若い頃に、読むべき本のリストにあったことから手に取った。その時にはまだピンとこなかったことも多かったが、たぶんいままた読むとずいぶん違うのだろう。よく言われていることとしては、100年前の漱石が感じたことは、その後着実に現実となり、現代ではむしろ当たり前のことのようになっているのではないか、という声がある。本書は、この考え方をベースに置いているのだと思う。本の最初と最後をこの漱石の考え方でまとめているし、第一本の題名自体がそれを指している。
 みんなと同じでないといけないのだろうか。こうした方向からの問いかけに、そうでなくてよい、という路線が待っていることは当然である。それを、経済からの視点だろうか、「価値」という概念を軸に話を進めていく。そのとき、「自己」について考える必要があるとする。「自分」はただの自分だが、「自己」とは、他者を媒介として捉える自分だという規定を基本として、ただの自分本位とは違うことも押さえる。その時、SNSという場における考え方も提言していくのが実際的であると言えるだろう。
 この後、フロムや老荘思想を引用しながら展開し、やがてモンテーニュの思想を大いに取り上げ、並べていくことになる。この辺りは、恐らく著者の好みでもあるだろうし、知っているところから取り上げたという印象がある。このうちフロムはユダヤ教徒であるが、それを前面に出して論ずるタイプではない。モンテーニュは表向きはカトリックだということにしているが、内心はかなり怪しい。老荘思想は中国的な宗教だと言えなくもないが、神というものとは違う。何が言いたいのかというと、14歳の世界に「神」は無関係なのだろうか、ということだ。見つめるものはひたすらに自分。そこでの行き詰まりというものを打破する道が用意されているのだろうか、ということだ。
 終わりのほうで、鈴木大拙からついに西田幾多郎もいくつかその言葉が引用される。絶対矛盾的自己同一という概念を中学生にぶつけてくる勇気も本書はもっているが、その時に「但人間は作られたものから早来ものという歴史的生命の極致に立つものである。(中略)そこに人間は絶対矛盾的自己同一に面する。神に対して立つと云ひ得るのである。」という文を引用し、著者は「人間は動物です。しかし、同時に、創造という能力を与えられた点において動物とは異なり、創造主である神にも向き合う存在であると、西田は言うのです。」と説明している。
 神という存在を、西田も出しているし、著者も強調している。だが、これっきりである。神とは何か、神と人との関係など、何か深めようとすれば深めることができる戸を叩いたと思われたのに、神についての言及など全くなしに、一瞬だけ通行人のように神が登場しただけなのである。
 これはもったいない。というより、ここにひとつの危険性が隠れているとも言える。オウム真理教に取り込まれた若者たちは、この本にある動機のように、人と同じであることに疑問をもった。あるいは潜在的にもっていた。それを、本来的な「自己」の追求という点で導かれ、その追求の余りに、進む方向を誤った。漠然と思い描いていた「神」のような概念が虚である点を操られたのだ。本書も、神については、漠然としたものであるに留まっている。我は神の声を聞いたとか、我は仏陀の生まれ変わりだとか、そうした者に惑わされた経験を、多くの大人も実はもっているか、あるいは知っている。本書はそれらへの反省を踏まえてはいない。個人主義という点に終始したことが悪いわけはないのだが、ちらりと覗かせた神概念の曖昧さと考察のなさが、また同じような若者を導きかねないと懸念される要素を有していると思うのだ。
 それから、これほど長い時間をかけて語り続けた文章が、14歳の前に現われたときに、聞き続けていけるだろうか、という心配も私はもっている。いや、恐らく二十歳辺りでも、これはしんどいだろう。じっくりと、多少揺さぶられながらもいろいろな景色を見せながら長い旅をしていくことで辿る思考の道に、若者自身が耐えられないのではないか。もっと断片的に、2頁ずつくらいにひとつの話題を載せて、次々と一つの点だけを見せていくような構成でないと、この超長い語りを辿るということそのものが、無理であるに違いない。少しばかり時間のある30代くらいの人にこそ説得力があるものの、中学生というターゲットは、あまりにこの構成、また内容とはかけ離れている。高校倫理を経ていないと、思想家そのものは全く未知の宇宙人のようなものであるとしか目に映らない。この辺りの、ターゲット層の認識のずれというものが、本の題名から明らかである。
 決して悪いことを言っているわけではないだけに、これらの点が残念でならない。




Takapan
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