本

『生きる力を身につける14歳からの読解力教室』

ホンとの本

『生きる力を身につける14歳からの読解力教室』
犬塚美輪
笠岡書院
\1400+
2020.4.

 AIのプログラミングの問題から、教科書が読めない子どもたちについて分かってきたことを本にしてよく読まれた、新井紀子氏が推薦の言葉を寄せている。確かに、その路線の本なのだろうと思う。こちらの本は、教育学、あるいは認知心理学という領域で活躍する大学准教授。AIというわけではなく、子どもたちに教えるということに挑んでいく。
 本書では、会話がなされていく中で、中学生たちに、読むということについて教授していくという設定がなされている。大学の研究室の学生たちと練り上げた会話だそうで、教授の思いこみで創作された架空の会話ではなく、若い視点から出て来た視点が多々生かされている。著者自身この会話の中に登場して、その中心にいるわけだが、必ずしもお高くとまっているというふうでもなく、気楽に生徒たちの声を聞き出し、また指摘して導いていく。嫌味もなく、概して爽やかだと言える。
 テーマはやはり「読む」ということ。様々な側面から、この読むというはたらきのからくりを明らかにしたり、それを身につけるためにどうすればよいのか、探っていく。  そもそも読解力というものが何故必要なのか、そのあたりから入り、私たちは文字を読んでいるようで、実は読んでいないのではないか、という問いの世界に引きこむ。読むには読んでも分かっていないのではないか。
 この辺りから、そもそも、という領域にしばらく入る。暗記と理解とはどう違うのか。私たちはなんとなく分かったように気がしているが、記憶の仕組みについて細かく明らかにしていくことで、読解に必要な概念を掴んでいく。また、記憶というからには、今度は忘却ということについても触れる。忘れないためにはどうすればよいか、知恵を授ける。
 再び読解に戻るが、よく、本をたくさん読めば読解力が身につく、と言われる。素朴な信仰であるが、読書と読解力の関係は必ずしも同一だとは言えないだろう。そして、読解の苦手に人に、本を強制的に読ませるというのは苦痛であるに他ならないし、そもそも読めていないのだから、本を読んだとしても何がどうなるわけでもないのではないか、と私などは懸念する。
 興味深い問題として、マンガのことを取り上げる。マンガだから良いとか悪いとか、一概には言えないのではないかと私などは思うのだが、確かにビジュアルにすべて提示されると、文字の背後にあることを察知する能力が育たないかもしれない、とは思う。マンガの理解の容易さは、そこに「物語化」があるということは、いろいろ考えを進めていくのにヒントになるような気がした。そしてこの教授、「はたらく細胞」や「Dr.STONE」の良さを持ち出すところなど、私は個人的にたいへんうれしく思った。私もこれらは素晴らしいと思っている。
 マンガにも関係するだろうが、図やイラストについてもその効能を整理すると、メタ認知という著者の本領発揮となるが、専門的になり過ぎないような配慮しながら、それを、友だちと共に読むことの効果が示される。これはアクティヴ・ラーニングで今用いられているとも言えるだろう。
 最後に、ただ受身に読むばかりでなく、それを批判的に読む方法の大切さ、また自分が先に思いこみで読んでいる可能性を意識され、先入観ということについて考える。となると、主観というものは読解の邪魔であるのだろうか。客観的に読むというのが理想なのだろうか。受け取ることは大切だが、すべてを受け容れる必要はないだろう。リテラシー問題とも関連するが、私たちはきっと、その本の著者と、出会うのだと思う。出会うためには、相手の言い分を十分受け取らなければならない。それでいて、相手の言いなりになることがよいのではなく、こちらの考えと合わないところは話し合う。本であれば、仮想の話し合いとなるかもしれないが、私の意見をひっさげて、著者と出会うという出来事が起こるのであろう。
 PISAで知られるようになったが、日本の生徒の読解力は、決して悪くはないのだが、近年低下が懸念されている。とくに批評の精神で読むとなるとさらに後れていってしまうのではないかと思われるが、互いに説明し合うというアクティヴ・ラーニングがそれを少しは改善していくのだろうか。
 本書の著者が第一に考えていることが示されているところがあるが、私はそれを聞いて安心した。なんにしても、「楽しい」のでなければやっていけないよ、というものである。実際読むことも、相当な危機にあると私は教育現場で感じているが、もしよければ同じ著者に、「書く」ことについても同様の教室を開いてほしい。実は共著だが少しあるようだ。「読み書き」両方触れているらしい。
 私は、「書く」ことに絞るものもあっていいのではないかと思う。つまりは作文ということだ。作文は、仕事の上でもレポートや報告書、企画書など必要になることが多いのみならば、SNSに顕著な、誹謗中傷や非論理的な感情だけの言葉のぶつけ合いなど、いま必要な分野ではないかと思われる。具体的に捉えるならば、ツイッターで攻撃されたらどうすればよいのか、独り善がりの批判者の書き込みがあったら、どう対処すべきだろうか、といった問題は、ばらばらに言われてはいるが、心理学的にどうなのか、まだよくまとまっていないように思われる。もしある程度その対応策があるのならば、広く知らせてくれたらいいと願う。そして、自らそうした誹謗中傷を書かないようにするための、作文教室というものが求められているように思われていならないのだ。そもそも「楽しい」気持ちで書いているのであれば、基本的に偏見や誹謗などは、出て来ないようにも思われるのであるが、認知心理学方面は、さて、どんなふうに私たちに根拠ある考えを見せてくれるのだろうか。楽しみである。




Takapan
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