本

『13歳からの環境問題』

ホンとの本

『13歳からの環境問題』
志葉玲
かもがわ出版
\1600+
2020.4.

 13歳ということについては、特別な強調はなかったように思われる。ティーンエイジャーだということなのではないかと推測する。小学生ではまだ意見の主張がそこまでできなくても、中学生になれば、何かしら発言していけるということを含んでいるのかもしれない。
 テーマを一言で言うと「気候正義」というものらしい。これは日本では殆ど聞かれることのなかった言葉である。しかし、世界的には広く知られており、考えられていることだという。だとすれば、日本のマスコミ報道はどうしたのか。自らそれができていないので気恥ずかしいものだから、強く言わないのか。政府からの何かしら圧力めいたものがあるのか。そうした背景については分からないが、確かに環境問題について、日本は必ずしも優等生ではない。
 どうかすると、日本の思想は東洋的で自然を利用するのではなく自然の中の人間という見方をする伝統がある、と言い、一神教が自然を破壊することをよしとしたのだ、と鬼の首を取ったような言い方をする、安っぽい評論口調が見られる。しかし、その本が環境問題や気候正義については、世界の動きからは全く遅れていると言わざるをえず、へたをすると、環境を守ろうとする意志があるのか、とさえ問われるほどである側面がある。そのことを本書は最後に私たちに問いかける。
 ティーンエイジャーの運動や主張を、もちろんグレタ・トゥーンベリさんのことも盛んに持ち出されるが、そうした声を取り上げた本だというだけに、問題点は、飾らず衒わず、分かりやすい形でデータを含めて提示される。写真も効果的だ。著者はそういう方面のジャーナリストなのだ。世界各地での写真もたくさんもっていよう。しかし、なによりその論旨がストレートで、ごまかしの利かない中で、素直な子どもたちの心に届く言い方で述べられているというところに、本書の最大の特徴を挙げておきたいと思う。
 こういう私が、この問題の埒外にあるわけではない。それどころか、読んでいくだけで、実に肩身が狭い思いをさせられる。地球を破壊しているのは自分だと思わされる。それでいて、改心して、地球を救う側に立って生活を始めることができるかどうかというと、それができない。小さなことなら、いくらかでもできることがあるかもしれない。だが根本的に改めるような方角に向き換えることは、まずできないものである。
 取り上げられた問題は、学校の授業でも扱われる「地球温暖化」と、それが招く「異常気象」、それからこうした問題はただ一人ひとりが気をつければよいというものではなくて、組織的に改新されていかなければならないということを証拠立てるような形で、「日本のエネルギー革命」の実態を暴きます。世界の常識といかにずれているか、またそれがいかに隠されているか、といった形ででも、社会構造の奇妙さを明らかにしようとします。「脱化石燃料」が必要なのに、お金の流れがそれを拒んでいる。企業の製品を買うことで、私たちの行為が、環境破壊に寄与しているという点を考えよう、というのである。
 日本にいると深刻に考えないかもれない「森林問題」や、貴中規模で深刻になっている「生物の多様性」、それらが非常に具体的に目の前に突きつけられる。子どもたちが立ち上がったことで大人が気づいた、「プラスチックごみ」の問題は、若い眼差しの希望と、大人こそが変わらなければならないことを知らしめる。「衣食住」そのもの、つまり私たちの何気ない生活そのものについての反省もしなければならない。商業主義に踊らされて、あるいは必要以上に欲望することを是とする空気の中で、無駄が環境の破壊を招いているという、ある意味でごく当たり前の事実を訴える。
 データを以て迫るこうした説得は、もしかすると、そのデータに誤りがあるのではないか、とか、若者が一部の勢力に利用されているのだ、とか、この社会の「大人」は小馬鹿にするかもしれない。世間知らずの若者が、理想ばかり言うが、経済をどうするのだ、と「大人」は居丈高に構えて見下ろすかもしれない。確かに、すべてのデータがそのまま信用できない場合もあるだろうし、予測というものはあくまでも理論に留まると言われればそれまでだ。だが、一部のデータや予測に適切でない部分があったとしても、そのために、こうしたすべてのデータが否定されるべきものではない。論う者は、ひとつのミスを取り上げて、すべての言説を否定しようとかかるが、この問題は決してそのようにされてよいものではない。
 ここでは「気候正義」という視点からの入口を提供したが、その奥には、虫歯の如く内部を解かし空洞にしてしまう恐ろしいものが潜んでいる。ひとつには、生活を見直すということであり、ひとつには、制度や社会を変えるということである。
 レジ袋ひとつとっても、私たちの社会は変わっていくことは可能なのだ。そのレジ袋の削減が実は虚構だ、などという声もあるが、ひとつの始まりは、何かができるという道の存在を証明することができる。問題は、するかしないか、その行動である。
 だが、私たちは日々、エネルギーを浪費しないと生活できない。どこからどのように変えることができるのか、やはり決して簡単に変われるものではない。人間たちは、まるで何かに突き動かされるように、歴史の運命の流れに流されているだけの存在かもしれない、と悲観的にもなりうる。
 子孫への犯罪という視点はこの本にはなかったが、若い眼差しは、確実に「未来」の存在者であるが故に、「大人」の謙虚さが求められていることは確かである。




Takapan
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