本

『100年の難問はなぜ解けたのか』

ホンとの本

『100年の難問はなぜ解けたのか』
春日真人
NHK出版
\1365
2008.6

 テレビ「NHKスペシャル」で2007年10月に放送された番組のために取材したことが本となった。これはよい企画である。メディアが番組という形でしか提供されないよりは、書物という形で遺されると、触れやすく、また細かいことが記録される。
 それにしても、「天才数学者の光と影」なるサブタイトルがあるように、中心人物の、人間としての奇妙な部分とそれからまた輝かしいその業績とがそれぞれを浮き彫りにするように強調されている。数学に関心がわずかながらもあるから手に取ったが、果たして一般の方はどうだろう。本としては、精一杯努力してあるように思うが、もうちょっと表紙に何か興味を惹くような言葉を投げかけておくとよいのでは、と感じるものであった。
 ここでいう「難問」というのは、いわゆる「ポアンカレ予想」と呼ばれるものであり、それを解決したのは、グリゴリ・ペレリマン博士というロシア人の数学者である。これがまた傍目には奇妙な男であり、風貌も行動も奇妙奇天烈である。地元ロシアからも、変人扱いをすることこの上ないほどであるという。
 この数学的な意味や博士の具体的な姿については、どうぞ本のほうをお読みく戴きたい。興味尽きない内容である。
 宇宙への素朴な疑問からそれを正確に説明するために、トポロジーの理論を応用していく。しかし、誰もが解けなかったその難問を、ペレリマンは、若いころに得意だった物理の理論や、このトポロジーに蹴散らされた観のある微分幾何学を用いて、美しく解いてしまう。
 小川洋子氏が、数学を小説に仕立て、映画にまでなり大ヒットした。こうした事実は、数学であるから世の中が背を向けるという説がたんなる思い込みに過ぎないことを証明する。このような本が世に問われるとき、その問いかけ方次第では、人々の意識を大きく変えるようなことにもなるのではないかと思う。たとえば、環境問題一つとっても、様々な思惑が入り込み、いくらか怪しい空気さえ流れ込んでいるという指摘もあるが、純粋に数学的に語られるものがあるとすれば、それは人の関心を呼ぶことがありうると思うのだ。うんざりしているのは、それが数学であるがゆえではなく、腹黒いタヌキが陰でほくそ笑むような構造があるのを疑われているゆえなのではないかと思うからだ。
 この本は、ペレリマンだけを描いているのではない。その証明のよい準備をした幾人かの数学者や、ペレリマンの周囲にいる数学者たちをも描く。その中で、「マジシャン」とも呼ばれたサーストン博士のために一章が費やされている。まさにこの数学者のために、「光と影」が使われているのが興味深いが、それはともかく、このポアンカレ予想の解決のために、次元を上げて考察するという道を提言しています。私たちが見える世界の出来事をただ綴るだけでは、見えてこない解決というものがあるのだ、と。私はこれを、神の視点のように感じて仕方がなかった。神は、いわば高次元のところから、人間やこの世界を見ているのであり、歴史に関与してきたのだ。
 このサーストン博士の言葉のひとつを最後にご紹介しよう。
「数学の本質とは、世界をどういう視点で見るかということに着きます。数学的な考え方を学べば、日常はまったく違って見えてきます。文字通りの『見る』、つまり網膜に映るという意味ではありません。学ぶことによって見えてくるという意味です。新しい言葉を学ぶと、それまでその言葉にまったく出会ったことがないのに、次の日に出会ったりして不思議に感じます。それと同じことです。物事を習うということは、物事を見ることです」(p146)




Takapan
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