本

『説教による教会形成 説教塾ブックレット10』

ホンとの本

『説教による教会形成 説教塾ブックレット10』
説教塾・編
小泉健著
キリスト新聞社
\1000+
2011.9.

 加藤常昭先生の80歳を記念して、2009年にセミナーが開かれた。その記録である。説教塾は、加藤先生が1988年に開いたグループである。日本各地で、キリスト教の礼拝における「説教」について共に考え、研鑽に努めている。
 このようなブックレットや紀要を中心に、世に問うているのであるが、日本の「説教」に命を吹き込んできた功績は大きい。
 小泉健牧師は、その一員として、このセミナーの時に40歳代になって間もない。若いが、研ぎ澄まされた感覚で説教について真摯に問う姿勢を見せている。  テーマは「説教による教会形成」。キリスト教会というものが、説教で建ちもするが倒れもする、そのように言われることもある。他方、毎週誰も聞いていない形だけの作文を喋るだけの、礼拝の真似事を繰り返す「教会」も実際、ある。しかし説教塾は、完全にそれに反対の姿勢を示す。神の言葉が語られる、それが生きて働く、教会に集う人を生かす、そう信じている。だからこそ、互いに考えたい。研き合いたい。そうして、キリストの体としての教会をつくりたい。
 小泉氏は、まず自身の証しから語り始める。実に正直な、真摯な証しであった。家族が一時別々の教会に通うというような生活もあったが、神学大学で学び、また反発もする中で、「教会」というものについて真剣に考えてゆく。やがてドイツの教会、そしてボンヘッファーの考えに深く学ぶようになり、教会という共同体のことをいろいろ考えてゆく。
 クリスティアン・メラー教授の考えからも説教について深く知るようになるが、加藤先生の師であり友でもあるボーレン教授の考えからも、教会について考えさせられる。そうして「説教黙想」や「説教分析」の次元に入ると、もう説教塾の活動そのものである。語る者として説教者は、聖書から「聞くこと」を通して、「自分自身の声を得る」ようになり、そこから共同体を神の教会として建て上げてゆくのである、とする。
 本書はそれに応じて「質疑応答」があったことを記録する。このような自由な対話は、いわば楽屋裏の描写のようであると思われるかもしれないが、実はその場にいる人のそれぞれの視点からのただ語りっぱなしで終わらない多くの考え方を、読者に教えてくれる。その場で発言された声は、その場で消えたかもしれないが、こうして残されることによって、読者として私たちは、立ち止まって深く考える機会を与えられる。案外これは、貴重な資料であると言えるだろうと思う。
 たぶんそこにいる質問者たちは、語った小泉氏よりも、ベテランの方々ではないかと思われる。ずいぶん緊張したことだろう。鋭いツッコミがあり、容赦ない批判も飛ぶ。しかし、語りきれなかった点にもメスが入るから、発題者にとっても、さらに深い理解や検討へと導かれることになるだろう。そのとき、加藤先生は基本的に沈黙を守っている。若いメンバーに、言いたいだけ言わせておくという感じがしないでもない。しかしそろそろまとめという辺りになると、加藤先生が長い発言をする。そのとき、教会建設ということを、より神学的な問題として捉えるように仕向けるのを感じた。「教会なんか行かないけれども、イエス様を信じる」という人がいるが、それではいけない、と考えているのである。だが、「それじゃダメだ」とどうして言えるのか、それは今後も問わなければならない。それは簡単に片付けることができない、重い問いなのであろう。
 後半では、ボーレンの説教「羊飼い」を朗読することで、それに対するレスポンスが展開する。が、そのまえに午後の会は、午前の部の総括のようなところから始まっている。そこで重要な視点が明確に出される。それは、牧師というものが、教会の「お世話役」であるのか、という問いである。詰まり、家族的な教会の中で、牧師は人の世話をすればよいのであって、説教などどうでもよい、という考え方がまかり通っていないか、ということである。個人的な信仰の強調は決して悪いことではないだろうが、そうした個人的な信仰者をまとめあげる世話をすることこそが、牧会者の使命なのだろうか。これは問われなければならない。それは日本のいわゆる「無教会」のグループでもそうだった。ここで「典型的な無教会というのはキェルケゴール」だという指摘が面白い。
 そして「羊飼い」という説教が始まる。小泉氏の発題であるが、イメージ豊かに語られるその説教は、イエスに従う羊たちが、やがて羊飼いになってゆく、という幻を語るようなものであった。その説教は、一般の教会礼拝で語られたのではなくて、大学教会での説教である。一人ひとりは、イエスに見いだされ集められた羊であるだろう。だが、今度はその羊が、羊飼いとなってゆくことが望まれている、という方向性をひとつもつものであった。実際はそう単純でなく、そこにイエスがどう関わるか、二重の意味が加わり、イエスのあり方も双方向性をもつものであるのだが、確かに印象深い説教であった。
 これに対して参加者が短いコメントを返す様子が記され、やがて説教の分析も加わり、牧師としてそれをどう聴くか、という問題を皆で共有するようになる。但し、ドイツの教会制度と教会のあり方や位置づけは、日本とはずいぶん異なる。単純にそれを受け容れることはできないし、参考にならない情況というものがある。ここでも、普通の説教としてそれを聴くことはできないのであるが、最後は小泉氏が、ここへ至るまでに考えたことなどを詳しく語るようにしている。但し、最後の最後は加藤先生に締め括ってもらっている。より自分たちに合った形で先輩たちが考えた教会形成についての説教をも、また読んでみなくてはならないだろう、という締めであった。
 なお、本書の発行は2011年であるが、セミナーそのものは2009年であった。編集などに時間がかかったらしい。2011年の震災は、本書の議論には全く出てこないけれども、読者はそれを踏まえている。ここのギャップがどうであるのか、それもまた検討するに値するのだろうが、本書の内容を、そこまで敷衍するような人は、果たしていなかっただろうか。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります