日本では、クリスマスはすっかり風習化したかのような観があります。
「教会でもクリスマスをするんですね」などという、信じられないような声を耳にすることもあります。宗教として感じられないのでしょうか、クリスマス会をします、という理由なら、公共施設でも借りることができる場合があるように思います。これが、キリスト教の伝道集会です、と言えば絶対に貸してはくれない場合でも。
ともかく、クリスマスはあまりにもポピュラーになりました。それでいて、主人公が変えられてしまっているのも顕著です。つまり、サンタクロースの日、プレゼントやツリーの日、甚だしくは恋人の特別な日……ああ、まったく嘆かわしい、というクリスチャンも少なくありません。
街には11月から、クリスマス一色。その辺りの事情については、「教会は楽しい」の「炭火」の2001.12にも記しています。

クリスマスとは英語の発音で、Christmasと綴ります。Christのmass、つまりキリストのミサという語源です。ドイツ語、フランス語とそれぞれまったく別の語源からクリスマスを表現するなど、調べると面白いことが多々ありますが、今回は日本の話。
ある人は、Xmasは間違いだと言います。Christmasこそ正しい、と。たしかに、Xの文字を「クリス」と読むのは無理がありそうですが、実際はそう読まれています。また、俗語だと言われますが、エクスマス、という読み方もされるそうです。
エックスがミサとはどういう意味でしょう? ミサ、礼拝というのはいいとしても、なぜXが???
このXは、ギリシア文字のΧ(英語的にはCh)のことなのです。キリストとは、新約聖書(原本はギリシア語で書かれています)でΧριστοsと綴ります。ローマに迫害されていた時代、あからさまに信仰を打ち明けられなかった状況において、この頭文字だけで、キリストを表すようなこともしていたようです。しかもこの文字は、十字架に形も似ています。
こうして、クリスマスをXmasと綴るのは、深い歴史を感じつつ、聖書を信じる立場からも、安心して使ってよい、ということになります。

ところが、文化の背景を知らない日本人が考えたのでしょう。このXmasというのは、Christmasの何か省略形だ、と。省略記号の'(アポストロフィ)を付けなければならないはずだ、ということで、X'masと書いた人がいて、日本では、この説が受け入れられ、幅を利かせるようになっていきました。
広告を見てください。X'masとなっているものが、たくさんあるでしょう。
しかし英語の辞書の中には、これは間違いだとわざわざ注意書きがしてあるものもあります。
どうか皆さん、もう X'mas とは書かないでいただきたいのです。

言葉についてもたくましい国ですから、犬も歩けば……式に、そのうち世界にX'masを逆輸出していくようなことになるのでしょうか。
たしかに、クリスマスは、欧米でも、商戦の素材に使われはします。でも、十字架は十字架、キリストはキリスト、クリスマスから聖書が隠されるようなことは、たぶんないでしょう。
日本の常識は世界の非常識、などという悪口を言われたくないものです。
日曜日の朝に、町内会や町内行事、はては幼稚園や学校の行事をすることが、クリスチャンをいかに苦しめているということにも、早く気がついてくれたら……と思うたかぱんです。

