冗談ではなしに、「教会でもクリスマスを祝うのですか?」と訊かれたことのある牧師が嘆いていましたが、他方、「教会でも母の日を祝うのですか?」という驚きは、それに比べればまだよい方かもしれません。
商業主義の産物としか受け止められていなくても、仕方のないことですが、「母の日」は紛れもなく、教会から始まった行事なのです。
アンナ・ジャービスという名前の女性に由来する、母親への慕情の逸話はすでに有名になっており、今ではインターネットですぐに調査もできます。また、ジュリエット・ブレイクリーという別の女性に由来するという説もあるそうで(http://www.dearmom.com/)、興味深いものですが、どちらにしても、アメリカの教会の礼拝において、メッセージを伝えた女性には違いありません。今から百年前後昔の。
聖書にも、「父と母を敬え」との言葉がありますから、母の日の心は聖書につながるものではありますが、たとえばクリスマスやイースター、ペンテコステといった大きな祝祭と異なり、聖書に由来するものではありません。ですから、教会によっては、ほとんど触れないでいるところもあります。
ただ、子どもたちの教会学校がある教会では、母の日は大切な教育の一環となります。幼稚園や学校を併設している教会なら、なおさらです。母親を敬う心を育むことで、お母さんたちの心をも、教会に結びつけることができる……という計算までしているかどうか知りませんが、家庭や家族を背景に考えるとき、母の日はやはりあったほうがよい行事であるようです。

教会学校の活動で、カーネーションを作ることがあります。折り紙で、ペーパークラフトで、あるいは布で、というふうにそのあたりにある手軽な素材で、カーネーションを作ったりします。
このカーネーションは、ジャービスのエピソードに由来するもので、亡くなった母親のためにカーネーションを持ってきたといいます。その赤い花の色はキリストの血を表すという理解もあり、キリストの「受肉」(incarnation)という言葉の一部にカーネーション(carnation, 肉色)の言葉が隠れているのも面白いと思います。
たとえばそれらを、礼拝の最後に、子どもたちが、教会に集った、母親である女性にそれを配ったり、胸に留めてあげたりします。
母の日への感謝の作文を読んだりすることもあるようです。

カトリック教会の場合は、「母」という響きに、どうしても聖母マリアの姿が重なってくるかもしれません。プロテスタントの場合は、それはほとんどありません(そもそも聖母という言い方をしないせいもある)。イエスの場合も、母マリアに対して、どこかよそよそしい物の言い方をしたり、十字架からは弟子に世話を頼んだり、あまり福音書の中では母孝行をしているようには見えないことがありますが、やはりその母の厚い愛情があったゆえにこそ、育まれた感情もあったかと思います。もちろん、遠藤周作のように、神を母として捉えてしまうと、歪みが生じてくるでしょうから、私たちも、あまり思いつきで語ることは控えておきましょう。

母の日の礼拝でしばしば歌われる『讃美歌』に、510番「まぼろしの影を追いて」があります。
春は軒の雨、秋は庭の露、
母はなみだ乾く間なく、
祈ると知らずや。
(『讃美歌』日本基督教団出版局)
ややセンチメンタルな歌詞ですが、それだけにグッとくるものがあります。

日本の教会で母の日が取り上げられるようになったのは明治時代末で、キリスト教関係の団体が広める努力をしました。それが昭和に入ると、皇后を以て日本の母として、皇后の誕生日の3月6日を「母の日」と定めていたといいます。第二次大戦後、再び5月の第2日曜日に戻されました。(母の日を探るサイト http://www.hahanohi.org/index.html)
何でも、利用しようと思えば利用できる。国民の目を本質から逸らせるようにして、美談を以て強制的にあるものに盲従させようとする……それは戦前の軍国的政治に限られたことでしょうか。私たちは、よく目を覚まして、見張っていなければなりません。
母の日もすっかり商業主義に染まってしまったようにも見えますが、教会としては、それを取り上げるにしろ、取り上げないにしろ、その日だけでなく、つねに母を覚えて生きたいものです。
