かつてブームになった「ちびまる子ちゃん」が、再びテレビで好評を得ています。新聞の四コママンガという分野も開拓していることが、その原動力になっているのかもしれません。
作者が願っていたように、国民的キャラクターとして、定着したということになるのでしょうね。
それで、りぼんマスコットコミックスもまた売れています。
その、『ちびまる子ちゃん』第9巻をふと開くと、興味深い話がありました。
その63です。タイトルがずばり「まる子 教会へ通う」。
親戚のおじさんに、教会に連れて行ってもらったプー太郎。けっこう面白いと友だちに宣伝します。とくにその「おやつ」というところに惹かれたまる子。みんなで教会に行くことになるのです。
まる子の父ヒロシは、教会に行って何するんだと例の調子です。エクソシストみたいに悪魔祓いしているかもしれない、と脅します。
日曜日、子どもたちは礼拝に集います。「神父さん」が登場するので、これはカトリックです。賛美歌にすでに退屈しつつ、まる子はやがて子どもだけのクラスに移ります。シスターから聖書をもらい、ノアの箱舟のお話が始まります。
家に帰って教会のことを話すと、おねえちゃんが、何故か創世記の楽園追放の話を知っていて、まる子を驚かせます。まる子は、「罪」ということを意識します。
翌週、まる子は朝寝坊して教会へ行きませんでした。それで月曜日、まる子だけが教会に来なかったと言われ、咄嗟にウソをつきます。しかし、まる子はそこに「罪」を覚えます。
次はクリスマス会があるとプー太郎が言います。イエス様の誕生の劇の練習を昨日はしており、来週はその劇を発表するのだそうです。まる子は練習していないので挫けますが、ここでまた「おやつ」と聞いて元気がでます。
先週お休みしていたので、劇を見ていてよいか、とまる子がシスターに尋ねると、黙っているだけの訳だから、マリアの役をするように言われます。だんだんその気になるまる子でしたが、衣裳を後ろ前に着ていたというのが、マンガのオチでした。
どうですか。なかなかいいお話でしょう。
最初に教会のことが教室で話題になったとき、花輪くんも教会に行っていることが明らかになります。ただし、そこでは「おやつ」がないので、まる子は惹かれませんでした。
ブーブーいつも言っているプー太郎が、実はちゃんと教会に通っていたというところにも驚きましたが、それを教室で告げたこと、その話に友だちがたくさん乗っていったこと、そしてさきこおねえちゃんもそうですが、聖書についてある程度の知識が子どもたちの間にあることなど、びっくりするようなことばかりです。
特にまる子が、ギャグめいて扱われているとはいえ、「罪」ということをかなりきっちり受けとめていることについては、感心しました。
考えてみれば、「まる子」も、耳で聞けば「マルコ」です。
作者のさくらももこさんがキリスト教を信じているということは聞いたことがありませんし、違うだろうと思いますが、その作品の中に、こんなに素朴に子どもたちの教会観が描かれていることを、うれしく思いました。1970年代の子どもたちは、こんなふうに教会を見ていた、という設定です。
教会は、楽しいところです。
それとも、楽しいところ「でした」?
今、学校の管理が厳しくなりましたが、それは、親たちの要求にもよるところが大きいものと思われます。時代背景や、子どもの居場所といった事柄も取り巻いて、学校には決して自由なムードがありません。
教会学校はいま、どうでしょうか。そうした空気を無視してはなかなかやっていけないものがありますが、この三十年余り以前の子どもたちの様子を描いたとされるマンガが、はたしてもう過去のものでしかないのか、それとも、いまそんな命をふきこむことができるのかどうか、まさに大人自身が問われているように思われてなりません。