JOINと賛美の心

2002年9月

 いわゆる讃美歌とは、日本基督教団が刊行している『讃美歌』という本に違いないのですが、今一番よく使われているものは、約50年前に改訂されたもの。これでは古すぎるということで、最近編集し直されたのが『讃美歌21』ですが、普及率のほうはどうでしょうか。『聖歌』もプロテスタントの一部の教会では強く支持されていて、昔ながらの、それでいて力のこもった元気な歌が多いと評判です。いわゆる「きよめ」の問題が絡んでいる点も特筆すべきでしょう。

 その他、教団で編纂された賛美集がいろいろあります。たいていは、伝統的な、百年以上、ときに数百年単位の歴史をもつ曲が掲載されており、それがいまだ歌い継がれているのもすばらしいこと。大切にしたいものです。

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 他方、ワーシップとかゴスペルとか言われる方面の曲もあります。賛美の流れにはどこか流行めいたものもあり、詳しくは専門の資料をお調べ戴くことになりますが、神をたたえることに終始するゴスペルや、黒人音楽に発祥をもつといわれるゴスペルが、比較的自由に、リズムを刻み現代楽器をいくらでも取り込んでいくのは、オルガンかせいぜいピアノに限る古いタイプの賛美集とは異なる点です。

 それらの違いは、聞いてみれば明らかです。たとえるなら、戦後20年間の歌謡曲とフォーク・ポップス以後の違いほどある、あるいは、ビートルズ以前以後の違い、とでも説明すべきかもしれません。

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 使う楽器が、電子系になっていけば、それまでとまったく違う音の世界・音楽活動の違いとなっていきます。オーケストラや大がかりなセッションを集めなければ作れなかった音が、たった一台のシンセサイザーで表現できるとすれば、ある意味で経済的に、ダイナミックな音楽活動が可能ということになるでしょう。それはそれで、よいことなのかもしれません。かつてのYMOのうちの二人が、今また別の形(スケッチ・ショウ)で活動を始めたそうですが、テクノ・ポップと称されたスタイルも、今ではむしろ普通の形と見なされつつあるのかもしれません。

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 ……と前置きがやたら長くなりましたが、先日、福岡にJOINというデュオが来てくれまして、そのステージに出会ったことこそ、お伝えしたかったことでした。

JOINの3rdアルバム『ド・コ・マ・デ・モ』

 夫婦のユニット JOIN(ジョイン) は、埼玉を拠点として活動していましたが、今回全国ツアーを敢行しました。教会に呼びかけて、演奏の場を募るという方式です。

 男性が、シンセサイザーを駆使して、ステージを盛り上げます。レパートリーは十分プログラミングされていて、一人のキーボードから、ギターやパーカッションの音色を重ねつつ生の音も展開します。

 女性がリードボーカルと、フルート担当です。芸術大学のフルート科を卒業しており、クラシックからジャズまでフルートをこなします。今回、アルト・フルートを初めて見せて戴きました。テイク・ファイブをベースにして、五拍で通した「グリーン・スリーブス」は新鮮でした。

 歌詞を聴いていて、思いました。これは一般でも通用するなあ、と。

 たとえば、神と人間との間を五段階に区切るとします。神が5で、人間が1です。讃美歌は、3あたりの場所から歌っているように感じられます。ワーシップは、4くらい高いところで歌うような感じです。ひたすら神を称えよう、ということで、人間自身のことは顧みませんから。どれも、それぞれの魅力があります。もちろん、神など見えない歌が1ではあるのですが、微妙な2という段階が、JOINのモットーかもしれない、というふうに、勝手に感じたのです。人間の立場に即しつつ、そこから神を見上げて歌う、というイメージです。

 これなら、一般の歌としても十分通じる感覚です。そしてそれは、欧米にはよくあることです。神を否定したいような勢いのものもありますが、何かと神を持ち出して生きる支えにしている、という雰囲気はいまだにあるように思えます。あのビートルズの名曲「Let it be」にはマリアという形ですが、神の御告げを指針にしています。

JOINのステージ

 要するに、一般的なヒット曲としても、神を歌うものがありうるのであって、そのためには、人間の心情を十分歌い込んでいる必要があるだけで、神を取り上げてはいけないというきまりはないのだ、と思うのです。

 JOINの賛美には、誠実に神を讃える人間性が豊かに表現されていました。もっと一般的にも知られていく要素があるのではないか、と思います。

 ぜひ、応援してください。こうした賜物を。

ジョインのホームページは こちら


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 これからの時代にキリスト教が理解されていくには、こういう流れが必要かもしれません。ネットの時代になって、伝道の方法や構造が変わりつつあるのは、誰の目にも明らかでしょう。もはや古いタイプの野外伝道というのは功を奏さなくなっていますし、群衆に向かって「罪です」と叫ぶと、怪しい新興宗教にしか見えない始末。少し前から、幸福の科学が、本を売るということに徹することで、新しいタイプの宗教を開発しています。金を集めるというために実に合理的で合法的な方法だと関心しますが、キリスト教がそうした力に屈するようなものであってはなりません。もちろん、神は勝利しておられるにしても、キリスト教徒が、古い自分の立場にこだわって、次の世代を捉えようとする聖霊の流れを妨害してはなりません。それは、たとえワーシップが気に入っていたとしても、そうです。神はさまざまな形で讃えられるのですから、ただひたすら讃えるしかだめだ、ということもありますまい。傷ついた心を癒す神の力を信じて、立ち上がる人間の姿の中に神の生きた力を歌い上げるのもまた、立派な賛美です。

 要は、人間の目から見える一つの立場に限定しないこと。神は偉大すぎるのですから、己の形に似せて甲羅を掘るようなまねをせず、それぞれが神を讃えることを喜び合うことが大切です。賛美する心を、神は輝かせてくださるお方でもあるように思います。

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