教会の日常

2001年9月 

 教会って、敷居が高いと思うときがありますね。たかぱんも、最初に行ったときがそうでした。もう大人の年齢になってから、初めて教会の門をくぐったのですから……。

 たかぱんの通う教会は、のどかな町にあります。建物はもう半世紀前からあるので、だいぶ傷んでいます。でも、アメリカからの宣教師が建てたそのころの洋風の建物は、なかなか丈夫です。むしろ訪れた人は、高い屋根の広い空間に驚くことでしょう。

 ふつうのプロテスタント教会ですので、牧師がいます。神父とは呼びません。

 礼拝は、日曜日朝10:30からです。昔、朝の農作業をやり終えてから出席できるように、ヨーロッパでこのくらいの時刻に始まるよう、決まったそうです。教会の中には、早朝に最初の礼拝を行うところや、夜にも礼拝を開くところもあります。プロテスタント教会でそうしているところは、たいてい、日曜日に勤務しなければならない人でも出席できるように、との配慮からのようです。このあたり、昔も今も変わらないのですね。

 礼拝プログラムは、讃美歌をはさみながら進みます。牧師が聖書の一部から説教をして、その後、席上献金などがあって、終わります。

 献金は、会費でもないし、誰が見ているというわけでもありませんから、相場とかいうものは、ありません。用意のない人や、賛同できない人は、袋がまわってきても入れなくてもよいのです。教会員は、一定の額を申告していたり、収入の十分の一を献金したりします。十分の一というのは、旧約聖書の中に、そういう数字が挙げられているからです。でも、不思議なことですが、献金をしないと不安でたまらないし、すればするほど、神さまからたくさんの祝福を受けて幸せな気持ちになる……ほんとうです。

パンダ

 たかぱんは、教会学校で、子どもたちに聖書の話をしています。新約聖書でよく、すなおな信徒をヒツジにたとえる話がありますが、まさに教会学校(チャーチ・スクールからCSとも呼ばれます)の生徒たちこそ、子ヒツジたちなのでしょう。

 教会学校は、一般の礼拝よりも、少し早く始まるところが多いようです。讃美歌を歌ったり、聖書を輪読したりして、聖書の意味を説明します。また、子どもたちは、その後の分級クラスを楽しみにしています。聖書の話にまつわるワークブックをするとか、まったく関係のない工作やゲームをするとか、教会学校の教師が考えて指導します。ただ遊んでいるだけの子もいるかもしれませんが、それでいいのです。

 大事なことは、教会に、その子がいてよい、ということ。教会には、その子の居場所があるのです。

パンダ

 礼拝の後、一緒に昼食をとったりします。交代で準備をするなどして、けっこうおいしいごちそうがあります。また、コーヒーだけのときも、お菓子付きのときもあるでしょうが、少しばかり残って語り合うのが楽しみです。

 初めて教会に来た人でも、遠慮なく残ったらいいと思います。どうぞ食事もご一緒に。日頃から疑問に思っていることなど、気軽に牧師や放しやすそうな教会の人に尋ねてみたらいいでしょう。教会の人は、必ずしもすばらしい徳のある人間ばかりではないでしょうけど(ほんと、みんなそこらの人と同じです)、だいたいにおいて、信頼はしていいと思います。騙してやろう、などと考えている人は、いないはずです。

 とにかく、いろいろな人がいるから、楽しいです。「教会に行く人はこんなタイプの人だろう」とか「自分のような人間は似合わない」とかいうのは思い過ごしです。誰でも、そこになじむことは可能です。世界を創った神さまは、その人を受け入れられないほど、狭い心の方ではありませんから。


Takapan
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