主が王となる幻の下に
チア・シード
ゼカリヤ14:9-11
「主の日がくる」(14:1)との宣言に始まる章ですが、ゼカリヤ書はいろいろな幻を交えながら、イスラエルの「その日」を目の前に描きます。人の知恵だけで、これほどの壮大な現実像を描くことができるでしょうか。ゼカリヤ一人ではありません。多くの預言者が、何かに取り憑かれたように、イスラエルの罪と悔い改めからの救いを述べるのです。
預言者毎に特徴はあるものの、核心を貫くメッセージは少しも変わりません。ゼカリヤは特にエルサレム神殿の栄華が語られます。新約の黙示録が知らせた新しい都エルサレムへ、インスピレーションを与えたであろう表現も見つかることでしょう。さらに展開した形で黙示録がエルサレムの栄光を告げました。さあ、ゼカリヤはこう宣言します。
「主はすべての地の王となられる」のです。「その日には、主はただひとり/その名もただ一つとなる」と言います。単にイスラエルという狭い地だけの神であるのではないのです。こうなると、何故全地の主がイスラエルを選んだのか、という問題をも、私たちは考えざるをえなくなります。イスラエルの民は、決して優等生であったわけではありません。
先生が、優秀な子を学級委員長に選んだわけではないのです。ただ、その一人を徹底的に優遇しました。依怙贔屓をしました。しかし、先生の期待通りにはなりませんでした。時に、その生徒は放り出されもしました。でも、見えない愛の糸で引かれていたことは確かでした。ゼカリヤは幻に幻を加え、今やエルサレムの勇姿を見ます。
平坦とされた台地の上に高く聳えるその町は、荒れ果てた末に人々が住み、賑わいを回復します。そして「もはや再び滅ぼし尽くされることはなく/エルサレムは安らかにとどまる」のです。このエルサレムの王はただ一人、この神のみです。王が全地を統べるのです。この王を私たちは知っています。この王の言葉を、世界の真理として私たちは聞くのです。