愛は無敵

チア・シード

雅歌8:6-7   


愛が望むまで目覚めさせず、揺り起こさないでください。雅歌の解釈は困難を窮めますが、さしあたりこれは男の若者の側の心なのだと言われています。これに対しておとめの方は、あなたを目覚めさせた、と口にします。ならば、これは愛が望んだのだ、と理解できます。雅歌は間もなく結末を迎えます。ストーリーがあったかどうかは別として。
 
さあ、いよいよ愛が望み、ひとつの壁を超えてゆくのです。情熱的な言葉がここに並んでいます。「愛は死のように強」いのだそうです。愛と死は、しばしば対比させられますが、ものの裏表のように、実は近いものだと言われることもあります。死は誰も逆らえません。避けることができない、最強の敵です。人間は、必ず敗れることになります。
 
しかし、愛はその死に劣らぬほどに強いというのです。「熱情は陰府のように激しい」、この対比もまた、愛と死と同じようなことを告げています。「愛の炎は熱く燃え盛る炎」とも言いますが、炎は熱を視覚的に表現する言葉です。誰もがそれと見えるようになります。自分の内にのみあるものでは、もはやなくなっているわけです。
 
信仰を見せてください、とヤコブが迫ったにしても、全く動じないでしょう。また、舌のような火が聖霊として弟子たちに降臨して及んだことを、新約の徒は思い出し、これと重ねることもできるでしょう。「大水も愛を消し去ることはできません」というその大水は、イスラエルの地では恐いものです。固い地盤の上に、まとまった雨が洪水を生みます。
 
斜面を走る水は急流となり、人の命を奪います。しかし、それですら、愛の炎を消すことも、押し流すこともできないというのです。確かに、「洪水もそれを押し流すことはありません」。愛は無敵です。金で買うことはもちろんできません。その愛をもっているのは、ただ神です。イエスにより私たちにもたらされた、あの永遠の愛がそれなのです。


Takapan
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