神の国に役立つことへと仕えよう

チア・シード

ローマ14:13-19   


すべての者が神をほめたたえるようになる。だから「もう互いに裁き合うのはやめましょう」と言います。パウロがローマ教会に、ここまで教義の詳細やイスラエルの奥義、生活の指針をたっぷりと告げてきました。そこでいよいよまとめようというところで、切実な声を挙げています。この声は、いったい私たちに届いていると言えるのでしょうか。
 
ここからも、少しばかりものを言ってから、「だから」と一つ息を吸ってパウロは言います。「平和に役立つことや、互いを築き上げるのに役立つことを追い求めようではありませんか。」しきりに「役立つこと」と口に出しています。神の国の実現はイエスにとり悲願でしたが、パウロがそこまで気にしているのかどうかは分かりません。
 
しかし、「仕える」という姿勢は強く感じられます。私たちは、神の国のために役立つことをしようとしているでしょうか。裁くというのは、「つまずきとなるものや、妨げとなるもの」を置くことによって創られます。わざとそうなるように罠に仕掛けるのです。策略を、同じキリストを仰ぐ仲間に対して設けることが、現にあるように思います。
 
食べ物ひとつで仲間を悩ませるようなことを、平気でやっているかもしれないローマ教会です。しかしコリント教会もそうでした。今もなお、そんなことに拘泥している教会が多々あるような気さえします。下手をすると、聖餐問題で人を裁くことでも、これと同様のことだということになりはしないでしょうか。
 
「キリストはそのきょうだいのために死んでくださった」という言葉が、もっと響かねばなりません。自らの正義を振りかざすのが得意な私たち。自分にとって「善いこと」を強弁することが、互いを滅ぼすことをもたらしかねないことに、気づかねばなりません。神の国は、「聖霊によって与えられる義と平和と喜び」であるのです。
 
自分が発案する「義」や、自分本位の「平和」を言えばよいのではありません。まして、相手に強要するのではありません。パウロもこの行動について、「キリストに仕える」という言葉を使っています。神の国のために役立つことができるよう、私たちは「仕える」ということに気持ちを向けて、それに励もうではありませんか。


Takapan
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