一人ひとりの働き
チア・シード
ローマ12:6-13
私たちは「キリストにあって一つの体であり、一人一人が互いに部分」(12:5)です。そういう命題を基に、少しだけ具体的に、教会での個人の働きをパウロが挙げています。イスラエルの救いを三つの章にわたり述べてきた後、ローマ書は、キリスト者の生活面へ大きく舵を切ります。そこには「思い上がること」(12:3)への警戒がありました。
一人ひとりは「異なった賜物」を持っています。預言・奉仕・教えること・勧めること・分け与えること・指導・慈善と挙げられていることから、当時の教会での信徒の働きが垣間見えます。預言とは、説教のことと理解できるでしょう。奉仕者、教師というのも、現代的に想像しやすいでしょう。その他もうひとつしっくりしないものもあります。
でも、教会に集う人々が携わる行いとして肯けるものです。こうしたことは、行動の違いを指し示していますが、続いて、どのような立場や務めであっても、その心構えあるいはスピリットへと視点がシフトしてゆきます。「愛には偽りがあってはなりません」以下、「互いに」愛し合い尊敬し合うことを勧め、「霊に燃えて、主に仕えなさい」と命じます。
これをパウロは根本原理だと気づいていなかったかもしれません。けれどもそれあってこその教会です。いま、これをモットーとしている教会もあります。残念ながら、自己愛の塊である偽りの信者に破壊されてしまいましたが、主に仕えず自分に仕えることの凶暴性を知りました。そのときそれを見抜けなかった自分に、今以て私は責めを覚えています。
希望・喜び・苦難・忍耐・祈り・分かち合い・もてなしといった言葉を並べつつ、パウロは思いを一つにすることへと注意を促します。いずれも「自分の体を、神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」(12:1)という礼拝の本質へと結びつくものです。教会は、どんな使命をそれぞれ受けようとも、礼拝を中心とするべきなのです。