聞いて信じて救われる
チア・シード
ローマ10:14-18
キリストの言葉を聞くこと。すべてはそこから始まるものであることを教えてくれます。ローマ書のこの箇所は、イスラエルが救いを切に見つめ、それが原理的に利いてこそ、異邦人が救われるのであり、他方異邦人がいまこうして救われているという事実があってこそ、やがて再びイスラエルが救われるのだということを示そうとしています。
神はその言葉を告げ知らせました。モーセから、ユダヤへ、そしていま全世界へと及んでいるのは、イエス・キリストを通じてです。キリストの言葉が全地に伝えられてゆきます。すべての人がその言葉を聞くのです。この「聞くこと」から、信仰が起ります。なぜ聞くことができたのでしょうか。伝える者がいたからです。宣べ伝える者がいたからです。
パウロはもちろん、そこに自分の居場所があり、存在意義があることを自覚しています。自分は「宣べ伝える人」であるのです。そのように遣わされています。「良い知らせを伝える者の足」を美しいと称したイザヤ書を引いて、そこに「福音」を重ねています。パウロの働きが、世界の果てにまで聞くことを可能にしているという自負があります。
パウロの声は、全地に及ぶのです。そしてそれは現に、確かに実現しました。こうして伝える者があってこそ、福音を聞く人々が起こります。聞くからこそ、信じる道が拓かれます。信じたからこそ、その人は主を呼び求めます。「主の名を呼び求める者は皆救われる」(10:13)というヨエル書の預言こそ、いま言いたい目的であるとも言えます。
この預言は、使徒言行録の2章で、聖霊降臨の際に説教したペトロの言葉の中でも引用されていました。全世界の人々が、キリストの言葉によって救われるというのです。イスラエルもです。イスラエルが見放されたわけではありません。パウロはこれを「信仰の言葉」(10:8)として告げます。パウロには、「救われる」という一点しか見えないのです。
パウロ自身、イエスと出会い、救いを経験しました。そのように、誰もがイエス・キリストと出会うことができるはずです。そこで罪からの救いを信じることにより、本当に救われることになります。その救いは、必ずやまたイスラエルに戻ってきて、より終わりの裁きが完結するようになる、そのようにパウロは確かに信じていたのです。