実は勝利を得る者

チア・シード

黙示録2:8-11   


七つの教会の天使に宛てた手紙が、黙示録の初めの方で並びます。そのうち二つの教会が、大きな非難を浴びることなく、褒められています。スミルナ教会もその一つです。主の称号がαでありωである方、死してなお生き返った方、というようになっています。そこに永遠がイメージされます。2つの対比されるべきものが1つになっているのも特徴的です。
 
スミルナ教会は、「苦難と貧しさ」を知る一方で、本当は「豊かである」のだといいます。現実の生活が困難であるにも拘らず、その実、つまり神の永遠の相に於いては違うのだというのです。この教会を「サタンの集会に属している者」が非難しています。この連中は、実はそうだが表向きは「ユダヤ人」と自称しているのだそうです。
 
ユダヤ人がすべてそうだという偏見を後世にもたらすことになった可能性はありますが、この自称の者たちは、自らを「クリスチャン」と名のっているという場合を否むことはできません。この者たちがスミルナ教会を激しく非難しています。悪魔が試しているのです。牢に投げ込むほどにまで迫っていて、そのため「十日の間、苦しみを受ける」のだ、と。
 
十日というのは一つの十分な姿ではありますが、12には至りません。神と人との関係から成る12ではないため、たとえそれが「死に至る」ことであったとしても、それで終わりではありません。「忠実であれ」という励ましの命令は、辛いものがあるにしても、あと2日間を待つならば、「命の冠」が授けられるのだといいます。
 
「ひとたび死んだが生き返った方」という称号で呼びかけた主の姿が輝きます。十日間受ける「苦しみ」は、牢程度では済みません。それは「死」であることが暗示されています。しかし「第二の死によって損なわれることはない」のだと言ってくれています。だから、苦難を恐れぬ者は、真の豊かさを以て「勝利を得る者」となるのです。


Takapan
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