私たちも巻き込まれている

チア・シード

黙示録22:8-13   


「すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたもの」(1:1)として、この黙示録は語られ始め、綴られました。そしていま、天使が告げます。「預言者たちに霊感を授ける神、主が、その天使を送って、すぐに起こるべきことを、ご自分の僕たちに示された」(22:6)と。
 
見事に対応していますが、「これらのことを聞き、また見た者は、私ヨハネである」と、ここからカメラはヨハネに当たります。でも冒頭では「僕たち」と複数でした。応答したのはヨハネ一人だったはずでしたのに。そう、読む者もそこに巻き込まれていて、聞き、見た者のうちにカウントされているから、複数扱いになっていたのです。
 
「この書の言葉を守っている者」の一人に、私もあなたも、なっています。ヨハネは思わず天使をひれ伏しましたが、天使は自分は神ではなく仕える者に過ぎないから、神をこそ礼拝するのだ、と諭します。思えば、初めの七つの手紙でさえ、教会の天使へ向けて書き送られていたものでした。確かに、黙示的事象が次々と起こり、天使が活動しました。
 
しかし、神が直接手を出す様子は、これまでありませんでした。ただ、終盤で「玉座におられる方」(21:5)はちらりと姿を覗かせていました。天使とは神の言葉を伝えるメッセンジャーという意味の言葉です。そして神の意を実現する力を働かせていました。私たちキリスト者は、もちろん天使ではありませんが、同じく「仕える者」です。
 
また、ヨハネのようにこのメッセージを受け取った者でもあります。秘密の覆いを剥がされた神の計画は、ヨハネと共にいま私たちの手許にも届いています。「床が迫っている」のも同様です。もうここから先、突如として善悪の役割が入れ替るようなことはない場面です。この先悔い改めて救われるというような次元ではなくなっているのです。
 
悔い改めの機会は打ち止めにされました。神の裁きの前提はもう変わりません。「見よ、私はすぐに来る」と言い、「それぞれの行いに応じて報いる」との宣言がなされました。ヨハネがこれを聞きました。私たちも、それを知りました。主の日が来るのです。αでありωたる神がいよいよ、これらの預言を実現させます。そしてあなたもこれを聞きました。


Takapan
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