十二使徒の名

チア・シード

黙示録21:9-14   


ヨハネが見せられた幻も、大団円を迎えようとしています。ここまで色々ありました。新しいエルサレムが天から降ってきたとすでにこの章の初めに言われていましたが、ここでも再び言及されるのは、ヨハネが天使によって高い山に連れて行かれ、そこで聖なる都エルサレムが神のもとから離れて降ってくるのを見たのだと証ししています。
 
この都は花嫁であるそうです。花嫁とくれば花婿がいるはず。ここでエルサレムは「小羊の妻」と呼ばれているので、花婿は小羊です。しかもすでに「妻」なのだという言い切り方がいい。もう離れられず固く結ばれた妻なのです。小羊なるキリストとの関係が出来上がっています。神の国を象徴している幻であるとも言えるでしょう。
 
この都は城壁都市です。ヨハネはこれが近づいてくるのをダイナミックに見ています。十二人の天使がいて、十二の門があります。イスラエルのすべてが回復されることを表しているのでしょう。完全な図形としての方形をとった城壁都市ですが、四方の壁それぞれに3つずつ門が具えられています。煌びやかな宝石の輝きに包まれています。
 
都の城壁には、十二の土台がありました。それに、小羊の十二使徒の十二の名が刻みつけられていると言います。ここで私は疑問を抱き、少し調べようとしましたが、なかなかこの疑問そのものに触れた考えにもお目にかかれませんでした。その疑問とは、この十二使徒の名の中に、イスカリオテのユダの名はあったのだろうか、ということです。
 
ユダはイエスを裏切ったばかりか、イエスを売った人間です。福音書にはその悲惨な最期が二通りにも描かれています。ユダがいなくなった使徒の空席に誰かが新しく名を連ねなければならないということでくじを引き、マティアが選ばれたと書かれています。だから十二使徒の名の中にユダはおらず、マティアがあるはずだ。確かに健全な回答です。
 
ここには「小羊の十二使徒」と書かれています。イエス・キリストの使徒だ、と。イエス自身が選び出し任命した十二人の使徒の中には、しっかりユダが数えられていたはずです。マティアはペトロの提案を基にどうしても12にしなければならないということでくじで選ばれた人物で、その言動は何一つ記録が残っていません。それが小羊の使徒なのでしょうか。
 
ユダは見捨てられた、と見るのが常識です。しかし、よく疑念が提出されます。イエスはユダの裏切りをお見通しだったのに何故易々と引き渡されたのか。ユダがこれをしなければイエスが人を救うための十字架も、従って復活もなかったことが予想されます。救いの摂理に決定的な役割を果たしたユダは神に利用されただけのでしょうか。挙げ句棄てられて。
 
ユダは悲惨な死に方をしたと記録されていますが、それは他の弟子たちからすればそうでも描かなければ気が済まなかった側面もあることでしょう。それを救済の理の観点から、救いのため神に利用され棄てられたように位置づけて、それでよいのでしょうか。私は、永遠の都の土台に、ユダの名は刻まれて然るべきだと考えたいと思っているのですが。


Takapan
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