声が響くなか書き記す真実の言葉
チア・シード
黙示録19:1-10
黙示録は音に満ちています。ここには3つの声がひしめいています。まるで歌のようです。「大群衆のどよめきのようなもの」が「ハレルヤ」と歌います。続いて「玉座から」の声がありました。しかし神の言葉では内容です。「私たちの神をたたえよ」と言うからです。「神の僕たちよ」と呼びかけるこの声は、何者なのでしょう。
そして終わりに「大群衆の声、大水のとどろき、激しい雷のようなもの」の声がありました。再び「ハレルヤ」で始まり、「主が王となられた」と即位を宣言します。ここに神の国の成立が公になりました。「私たち」とその声は言います。喜んで神の栄光をたたえる、というのです。「小羊の婚礼の日」がついにやって来たのです。
このように響き渡る声をよそに、天使が筆者ヨハネに私的に呼びかけます。「書き記せ」と命じるものは、「神の真実の言葉である」といいます。「キリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたもの」(1:1)としてのこの黙示は、いま改めて、さあ書けと迫ってきたのです。あるいは、いよいよ黙示の書をヨハネが綴るようになった、と受け取りましょうか。
聖書なるものはすべて「神の真実の言葉」であるはずなのですが、いまそれを自分が綴るということについての緊張感が伝わってきます。ヨハネは思わずこのとき「天使の足元にひれ伏して、拝もうとした」のでしたが、天使に制されました。自分もまた神に「仕える者」であるというのです。時に神と同一視されかねない天使でした。
が、やはり神そのものではないというけじめを有しています。「神を礼拝せよ」と天使は言いました。「神をこそ」です。その謎の言葉を以て、告げることを止めます。「イエスの証しは預言の霊」なのです。聖書の言葉が私へ届くとき、イエスの言葉が神ご自身の言葉として伝わってきて、力をもちます。霊的な働きが、そこにあるはずなのです。