行くべき道を

チア・シード

詩編25:8-14   


なぜ主を仰ぎ見るのか、信仰するのか、そう問うてもよいのです。「私にあなたの道を知らせ、行く道を教えてください」という祈りがモチーフです。「道」とは、今で言う「宗教」や「信仰」のことだと見てもよいと思います。恵み深く正しい主は、「罪人に道を示す」のです。そして「苦しみ人に道を教える」というのです。
 
それは、私が罪人であり、苦しむ者だからです。過ちを赦してもらうよう懇願し、選ぶべき道を教えてほしいのは、この自分です。契約を示し、それをとことん心身に刻み込んでもらいたいのです。この詩は、詩人の自己反省なのでしょうか。必ずしもそうではないと思います。この後、独り苦しんでいることが打ち明けられるからです。
 
また、敵が残忍なまでに自分を憎んでいることが告白されています。自分の魂を守ってほしいという願いも見えます。だから、主を待ち望むのです。主を信仰するのです。さあ、もう一度中央部に目を落としましょう。主は正義であり、なおかつ恵み深いといいます。公正を以て苦しむ者を助けます。そのとき、主への信頼があるかどうか、が問題です。
 
契約を守る者でありたいと思います。主の目に適うように努めるならば、主は必ず報いてくださるという信頼をもちたいと思います。主を畏れる者とさせてください。そのように自分は願います、と詩人はアピールします。私は罪人ですが、喜んでいます。主の言葉を大切にしています。それでも過ちを犯しますが、だからこそ主を畏れています。
 
私は主の御名を崇め、主を称えます。どうか私のこの真心を嘉してください。あなたの恵みと正しさを、私に現してください。私はあなたによってでなければ、まともなことはできません。だからあなたにすがります。どうか、私の行くべき道を教えてください。これがおまえの進む道だ、と示してください。
 
主の真実により、絶望的なものを見てしまう私に、喜びを与えてください。もはや主のみが頼りなのです。他のなにものをも、私は究極の信頼を置くことができません。私は天を見上げます。より切実なのは、自分を取り巻く敵です。その敵に喜びなど与えたもうな。この苦難から私をどうか救い出してください。詩編の詩人と共に切に祈りませんか。


Takapan
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