すべての者が主を賛美せよ

チア・シード

詩編148:1-14   


「賛美」という言葉は、もちろん神のために用いるというのがクリスチャンの常識でしょう。でも時に、それは国家権力や指導者に対して向けられます。それらは偶像のようなものだとクリスチャンは評しますが、アイドル・スターにはあまりそういう感覚をもちません。ある意味で、心の底からそれを本当の神であるとは考えていないからでしょうか。
 
アイドルは一人の人間だ、との前提をまだもっているからです。しかし国家や君主となると、本当にそれを神としてしまう場合があるのです。だからこそ「賛美」という言葉を向けるのだと思うのです。神を称えよ、という方向性の詩が、詩編のラストコーナーに続きます。146編以降は「ハレルヤ」で始まり「ハレルヤ」で結ばれる詩が並びます。
 
「ハレルヤ」という言葉は、「主を賛美せよ」を意味します。賛美の対象が、イスラエルの主であり天地万物の創造主ヤハウェであることを表していますから、偶像化している心配はないようですが、神を自らの欲望の道具として用いるような精神が潜んでいたなら、たちまち偶像の罠に陥ってしまうことになります。そして自分が神となっているのです。
 
「主の使い」にも「賛美せよ」を差し向け、森羅万象すべての被造物に対して「賛美せよ」と呼びかけています。詩人が単に命じているように見えなくもないのですが、当然そういうわけではありません。詩人も共に賛美するのです。被造物らを主が創造し、「掟を与えて」存立させた、というのは、万物が自然法則に従っていることをも表しています。
 
自然法則を成立させ、歴史を主が支えて導いている故に、凡ゆるものが存在することができています。生き物も星も大地も、皆そうです。人の世の流れも、その罪以外はそうです。そして、人間たちも、凡ゆる立場の者が、主より遥か下にある大地にひれ伏して、主を称えるためにそこにいます。私たちは自ら自分を創造したわけではありません。
 
主を賛美することが許されているこの民は、主によってその力を高く上げられたに過ぎません。イスラエルは神から祝福され、その地位を高められたのです。主の名を戴く故に、いつまでも主を賛美する民でなくてはなりません。そんなイスラエルであってほしい、あり続けてほしいものです。イスラエル共和国が、本当のイスラエルであってほしい。


Takapan
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