政はともかく私は主をほめ歌おう

チア・シード

詩編146:1-10   


「ハレルヤ」の言葉で囲まれる、詩編の終盤を飾る一連の詩の一つ。人を頼みとせず、神をこそ助けとするのがよい、と呼びかけます。それこそ「幸いな者」なのです。詩編は、悉くそのように訴える心からうたわれていたのではないでしょうか。「救うことのできない人間」を頼みとしても仕方がないのです。人間は頼るに値しません。
 
人間は、「霊が去れば」「土に帰り」「企ても滅びる」ものでしかないのです。ところが預言者たちは、為政者たちが、エジプトなりアッシリアなり、大国の庇護を求める様に呆れ、非難を続けてきました。イスラエルは、神をのみ頼るということを、なかなかしていませんでした。預言者はそれをもどかしく思ったことでしょう。
 
しかし、現実の政治に於いて、神のお告げに従うというのは、本当に信頼できるものだったでしょうか。「では神の仰せの通りに致しましょう」と安易に乗ってしまう社会の方が、むしろ奇異でありましょう。そういうのを狙って、現在宗教団体が政治に加担し、権力筋に近づこうとしていることがあります。私たちは、それを警戒しなければなりません。
 
一方、キリスト者はどうすればよいでしょうか。「私は命のあるかぎり、主を賛美しよう」と歌うのです。その主はどんな方でしょう。万物を創造した主ですが、「飢えた人にパンを与える方」です。人はその目に見える出来事のささやかな出来事を喜びます。まことにスケールの小さな話です。イエスの業も、一つひとつは小さな出来事でした。
 
「捕らわれ人をも解き放ち」「見えない人の目を開き」「うずくまる人を立ち上がらせる」というその業は、決して偉大ではないのです。しかし、一つひとつがイエスの業と結びつくならば、私たちの目は輝きます。「寄留者を守る」主は、私というこの世の寄留者にも目をかけてくださいます。その主の恵みの内に、私もおらせてくださいと願います。


Takapan
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