エルサレムの平和を求めよ

チア・シード

詩編122:1-9   


「都に上る歌」をダビデがつくる必要はありません。ダビデは都にいて、いわば都そのものの象徴のようなものですから。けれども詩人として、そういう歌をつくって人々に提供する、ということはあってもよいでしょう。119編の後、134編までは「都に上る歌」が並びますが、同時に「ダビデの歌」と付くのは他に124,131,133編です。
 
ダビデが本当につくったというリアリティを感じます。日本でお伊勢参りが、非日常を与えることで嬉しかったであろうように、エルサレム詣では、わくわくの特別感をもったのではないでしょうか。さあ「主の家に行こう」という人々の声に自分が喜んだことから、詩は始まります。「ダビデの王座が据えられていた」エルサレムは、わが都です。
 
「主の名に感謝するために」「主の部族は上った」というエルサレムです。そこに、巡礼の私たちが今立っています。都へついに来たというそのときに、喜びの声を挙げています。正にエルサレムの中にいて、神殿を見上げているのです。そうして「エルサレムの平和を求めよ」と告げ、そこに「平和があるように」と祈っています。
 
人々か、城壁の内か、城郭の内か、そのどこにも平和と幸いがあるようにと祈るのです。第二次世界大戦後、様々な国の思惑がありました。その結果、ユダヤ人によるシオニズム運動が、イスラエル共和国という形で実現しました。それが今のエルサレムです。聖書の後の時代の歴史により、そこは三つの宗教の聖地とて統治されるようになりました。
 
その点では、さしあたり平和を営んできたのです。けれども、イスラエルの国そのものは、周辺の国々との戦争が絶えませんでした。かつてのユダヤ人迫害は、人類史上最悪の規模であっただけに、痛みをもつ先進諸国は、このイスラエルの過激さに対して、負い目をもっていました。イスラエルの暴挙にも、どこか引かざるを得ない状態が続いています。
 
「あなたの内に平和があるように」と、この詩は祈ります。これはダビデの詩です。ダビデ自身、戦闘を重ねてその地を平定してきました。その上での祈りの言葉が複雑に響きます。私たちに今それは、どう届いているのでしょうか。「あなたに幸いがあるように」と、今イスラエルから世界へ向けて祈っていると言えるのでしょうか。


Takapan
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