道が絶望から輝く世界へと変わる

チア・シード

詩編119:25-32   


必ずしも、そこにストーリーがあるわけではありません。8つの節毎に一つの連を形成しており、それがアルファベット22文字それぞれに成立しているという、技巧を凝らした詩です。その3つめのあたるこの箇所は、やはり一つの心を伝えています。「私の魂は塵の中に伏しています」という沈んだ風景から、そこは始まっていました。
 
そこで主に対して、まずは願いから詩人は口にします。主の名を称えるというよりも、とにかく切実な自分の思いをぶつけるのです。「あなたの言葉どおりに私を生かしてください」というように、基準は主の言葉です。主の「掟」や「諭し」を求めつつ、さらに「あなたの言葉どおりに私を立ち上がらせてください」と、主の言葉に従おうとします。
 
立ち上がるということは、キリストの復活を思い起こさせます。伏していた私は、死んだ者でした。それが主の言葉によって復活します。私は死んだということが「私の道」であったのですが、それが「偽りの道」とならないように主に願い、「真実の道」をも私が選び取るようにしたことを告げます。それは、主の裁きを自分の前に置くということです。
 
「道」は生き方であり、人生でありました。神の教えであり、救いの歩みでした。聖書の言葉が即ちそのことであるのですが、その故にそれは「戒めの道」なのでした。詩人は、初めは項垂れていました。地理の中に伏していた魂は、神の言葉の道を、いま走ります。「走ります」との決意の現れがとても眩しい。しかし、そこに気負いはありません。
 
自分の力でしなければ、と考えないからです。「あなたが私の心を広げてくださるからです」と、すべては主の力、主の業に基づくことを証しします。私の心は延ばされて、天へ向けて道が進みます。道は世界の中で輝き、光を縦横に届けて止みません。私の惨めさを主に告げるとき、主は答え、その出来事がこうしてすべてを変えてゆくのです。


Takapan
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