まっすぐな道を逸れずに歩め
チア・シード
箴言4:10-27
諭しに従うこと、「それはあなたの命だ。」そう父が息子に教えます。これは命の道なのです。この「知恵の道」は、「まっすぐな道のりを示した」のであり、その歩みを妨げられることはありません。対して「悪しき者の道筋」には、目もくれてはいけない、と戒めます。ただ通り過ぎよ。それはいまにも襲ってくるから、十分な警戒が必要です。
人をよろめかすための悪事の基があります。それを他人事のように構えているのはよくありません。そこが問われているような気がしてなりません。自分には、「輝き出る光」に包まれた「正しき者の行く末」が約束されているのだ、と思いこんではいないでしょうか。本当は闇の中にいるのに、「真昼の輝き」があると勝手に決めてはいないでしょうか。
もちろん、イエス・キリストに出会った者がそれを慕うならば、必要以上に脅され、怯えなくてよいはずです。だが、それと共に、神を忘れておきながら、自分本位の考えによって、神の裁きは自分に好都合なはずだ、と勘違いしている可能性があることは、弁えておかねばなりません。もっと気がつくように、もっと聞くように、心を磨きたいものです。
父は、こういう経験を自ら味わっていたのかもしれません。自分で知ることについては、はっきりと子に教えることができます。人間でさえそうなのです。私たちにはイエスの言葉が与えられています。イエス自ら経験してくださった、世の誘惑や人の悪、暴虐の力の故に、神の言葉は、私たちの間で真実なものとして響き続けます。
父の言葉を「目から離すことなく/心の内に守れ」と命じ、「それは命」だと示しています。本当の健康というものは、そこから来るのです。「ねじ曲がった言葉」や「ゆがんだ言葉」が、世にひしめいています。当然、道も曲がっています。子よ、あなたの道のりはまっすぐか。そう問われたらどう応えますか。ええ、まっすぐでよいのです。
「まなざしを前にまっすぐ向けよ」との声が聞こえます。「右にも左にも偏ることなく/足を悪から遠ざけよ」との父のメッセージが、私の心に届いています。私の足の向く先を守っているこうした言葉を、蔑ろにしないようにしましょう。父なる神が、神の子とした人に向けて語る言葉は、聖書の言葉すべてにわたり、命の道を教え示しているのです。