父が子に命の道を案内する
チア・シード
箴言2:1-22
前置きを別とすれば、箴言は「子よ、父の諭しを聞け」(1:8)に始まります。これが7章まで続き、最後は女の誘惑への戒めで結ばれています。父から息子への諭しです。専ら男社会の文言です。その中に「異国の女」への注意が時折現れます。ただの女ではなく、異国の女だからこそ、よくよく気をつけなければならない、というかのようです。
この2章でも「よその女」と呼ばれる女が警戒されます。「滑らかに話す異国の女」は、「自分の神との契約を忘れた女たち」とも称されています。外国語を話していないようですから、これはイスラエル人のことではないかと推測されます。異教の文化へと心移りした女のことでしょうか。この女の許に行くと「命の道に至ることができない」のです。
単に女に気を付けろ、ではないのです。主を信ぜよ、主に従え、などという教えをここに並べているのではありませんが、神を背景にしています。繰り返されるのは「英知」と「知恵」です。あるいは「分別」とか「知識」とか、微妙に語は言い換えられていますが、同じひとつの事柄のことであると言ってよいと思われます。
「まさしく、主が知恵を授け/主の口から知識と英知が出る」とある通りです。この知恵を尋ね求めるときこそ、「主を畏れることを見極め/神の知識を見いだす」のです。これは「正しい人」そして「完全な道を歩む人」のことです。それはまた、「正義と公正と公平」がもたらす、「幸いに至る唯一の道のりである」ということでもあります。
このことが「悪の道」と「偽りを語る者」から、息子よ、おまえを救い出すことになるのです。歪んだ道に迷いこむことなく、「まっすぐな道筋」を行くがいい。それは「善良な人の道」のことです。「正しい人」であれ。「全き人」として、地に留まれ。旧約聖書のみならず、新約聖書でも、へりくだった人たちは地を受け継ぐ(マタイ5:5)とありました。
「地」は、人間の領分のようです。「地には平和、御心に適う人にあれ」(ルカ2:15)という天使の歌が思い出されます。「地」は、神から与えられる幸福な場にもなります。「神の国」といま呼ぶようになったものと、同一であるようには思えませんが、重なるイメージもあります。「子よ、もし私の言葉を受け入れ」るなら、との命令がずっと響きます。