リアルな生活と神の顕現

チア・シード

民数記9:15-23    


荒野の40年は、理由は様々あれど、カナンへ直行する道程でなく、迂回を余儀なく強いられさまよいながら行軍することとなりました。その間、連日歩き回ったというわけではありません。時にキャンプを張り、しばし定住したと思われます。ゆっくりと40年を数えたのは、ただうろうろしていただけではないはずです。
 
では、その滞在と出発のタイミングは、どのように決められたのでしょうか。判断基準はどこにあり、誰にあったのでしょう。モーセでしょうか。記者は、やはり主であると示します。主は見える存在ではないので、主の臨在を顕すシンボルのようなものがありました。それが雲です。そして夜は火としてそれは見えました。雲と火は柱であったとされていますが、果たしてこう呼ばれたものが実は何であったのか、私たちは案外探究しようとしていません。
 
昼は、焼け付くような灼熱の荒野です。日の光から守る意味での雲であったかもしれません。詩編121:6は、昼には太陽がおまえを撃たぬように主が陰となり守ると告げています。同時に夜には、狂気をもたらす月が撃たぬように守ると言います。温度差の大きい乾燥地においては、昼とは一転して、凍える寒さの夜となるため、火が守るのだということでしょうか。
 
苛酷な自然環境の下で生活するのは容易でなかったはずです。物語として書かれたものを見る限り、私たちは見過ごしてしまうことですが、この旅の中にはリアルな日常生活があったことを、想像してみる価値があります。実際そこには人が生きていたのです。幕屋という宗教施設を建てるだけでも日数を要したことでしょう。そこで生活している人間という視点で、出エジプトの出来事を想定してみることにも意味があろうかと思います。
 
この雲や火は、何かを表していることになるのでしょうか。そのうごきにより、旅立つこと、留まることが決められます。人が願ったり思案したりしてそれを決めたのではないように描かれています。ヘブライ書では、信仰の証人たちが雲のように私たちを取り巻いている様子が記されています。信仰者たちがこうして雲と見られていました。
 
モーセの柴の火や、エリヤが呼んだ焼き尽くす天からの火など、神の顕現を語る出来事は旧約聖書にいくらもありました。もしかするとですが、この雲や火と呼んでいるものも、必ずしも見える現象ではなく、何かしら神の力と出会った人間の印象であったかもしれません。共同幻想とも呼ばれる、仲間での体験を、精一杯の表現で伝えようとしたのかもしれません。それがあるからこそ、信仰ということで私たちもつながることができるのです。


Takapan
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