神の言質を取る

チア・シード

ネヘミヤ1:1-11   


紅海の西エラムと呼ばれた国家は、ザクロス山脈に沿い延びる地域に位置していました。メソポタミア文明の一部を担っています。スサはその首都でした。エステル記にも出てきます。スサに一人のユダヤ人がいました。長い歴史をもつこの地域も、アッシリア、メディアと支配を受け、ペルシア帝国の内に取り込まれることになります。ここで事実上、エラムの歴史は終わることになりました。
 
ネヘミヤは、ペルシア王アルタクセルクセス王1世の献酌官として仕えていました。王の飲むワインの毒味役ですが、フランシスコ会訳の注によると、宦官としている七十人訳の写本もあるのだとか。王妃の前に出ることがあるためとのこと。結婚のあてもない者は、むしろ進んで宦官となった、という歴史もあるようですが、ネヘミヤは外人奴隷の立場から、才覚を発揮したというわけでしょうか。
 
兄弟という呼称がイスラエルの民一般にも適用されている可能性はあるものの、ここで兄弟ハナニという人物がネヘミヤに報告をします。ユダでは、捕囚民とならなかった人々がいるわけですが、彼らがどういう暮らしをしているか、そしてエルサレムの神殿がいまどうなっているか、教えてくれたというのです。かつての侵攻により荒廃したそのままであるという知らせに、ネヘミヤはいたくショックを受けます。
 
何日も食事をすることもできず、嘆き続けます。ここでネヘミヤの信仰に、火がついたのです。神と心がしっかりと結びつきました。もう抑えることができません。それは、むしろ神に選び出されていた、という理解のほうが適切であるとも言えましょう。神に悪の責任を押しつけるのではなく、悲惨な事態は人間がもたらしたとするところが、ユダヤ教信仰の要です。人の罪が神への栄光を邪魔しています。モーセを通して与えられた律法を守れず、主に従えなかったことで、そうなったと考えるのです。
 
ネヘミヤは、神への背きがこのエルサレムの荒廃をもたらしたことを確信します。直ちに神へ向け祈ります。神よ、思い起こしてください。律法にはこうありました。戒めを守り行うならば、人々を主の名の下に呼び集め、約束の地に住まわせる、とあなたは言ったではありませんか。そこにいまから立ち帰るならば、その約束を、あなたの名の故に、実現してください。いまから私がそのために立ち上がります。
 
祈りは、自分の願いを神に叶えさせるためにするのではありません。それは神を自分の召使いにしてしまうことです。神は私の道具ではありません。神ご自身がそのように告げ、契約をしたのです、と神の言質を取ったネヘミヤは、決して神を自分のしもべにしたかったわけではありません。神よ、あなたが主人です。あなたの真実を表してください、と祈り、そのために自分ができることをいまからします。それをさせてください、と祈るのです。
 
ネヘミヤは王に願い出て、イスラエルの地に戻る道を選びました。安定した出世街道を棄て、神の名の下に歩む苦労を買って選んだのです。いわば、十字架を負って主に従うという、新約の私たちに与えられた道を求めた、と理解することもできるでしょう。私たちも、聖書にある神の言葉そのものを受け取りたいものです。神の約束を握り締めましょう。神の真実を見せてください、と願い求めましょう。そして、自分の置かれた情況の中で、自分に与えられた道を選び、進むのです。たとえそれが、損なものに思われようとも。


Takapan
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