中間の日になす人間の業

チア・シード

マタイ27:57-66   


十字架刑の日と復活の日との間には、1日半ほどの間があります。謎の一日です。使徒信条では「陰府に下り」などと言います。「霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました」(ペトロ一3:19)とあるからでしょうか。しかしこの日、神不在の世界は何だったのでしょう。空白の一日の出来事をマタイ伝から見てみます。
 
夕方になると、というのはまだ金曜日の暮れです。イエスが息を引き取ったのが三時とするなら、日没から入る安息日まで二三時間、これを越えると仕事ができなくなります。墓に遺体を納める手続きと営みは急ピッチで行われました。そうでないと、遺体はごみ捨て場のようなところに投げ捨てられていたことになります。
 
もしそうなると、復活の様相が変わってしまいます。ですから弟子だったというヨセフという金持ちが、ピラトに遺体の引き取りを急ぎ申し出ます。ピラトはこれをあっさり認めているのが気になります。ピラトとしては、どうも納得しない死刑判決でした。しかし暴動になれば自分の立場が危うくなりますから、気の毒と思いつつもほっとしたでしょうか。
 
ヨセフがイエスの遺体安置を担います。乾燥した気候です。いずれ骨化したらまたそれを拾い集めるということになります。いったい復活を予想していた者は誰もいなかっただろうと思います。二人のマリアがこの墓を見ており、闇の中で二日目が始まります。夜が明けると、祭司長やファリサイ派などが結束して、ピラトに願い出に行きます。
 
墓に見張りを置いてくれ。イエスの復活のことを覚えていたといいますから、弟子たちよりよほど信仰深いようにも見えます。弟子たちが遺体を盗み出して、復活を演じてもらっては困ると言い、見張りを求めたのですが、なんと敵たちのほうが、イエスの復活という出来事の与える影響を懸念していたというのはやはり驚きです。
 
人々が騙されないために手を打ってほしいという頼みに対して、ピラトはローマ側から番兵を出したように見えます。十字架を見張っていた兵士たちもいれば、墓を見守る兵士もいる。イエスは軍の手下に見張られ続けました。しかし、人間の務める見張りを、神は超えていました。その死は死ではなく、墓は墓でなかったのです。
 
当局はイエスを「人を惑わす者」と呼び、弟子たちに人々は「だまされる」と口にしました。神の真実と信頼は、こんな表現のものに塗り替えられてしまうのでしょうか。人間の側にはそれらが如何にないものか、思い知らされます。いま私たちも同様に、このようなことを言ったりしたりしていないだろうか、と自問すべきではないでしょうか。


Takapan
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