いきなり始まったその事態

チア・シード

マタイ18:23-27   


天の国とは何か。マタイの大きな関心事です。ここでは、ペトロの質問へのレスポンスとなっていますが、王のストーリーにすぐに入りましょう。王はその家来たちと清算をしようとしました。唐突ですが、そのことそのものを神の国に似ているとしている点に注目します。清算がいきなり始まりました。神の支配は準備も理由もなくいきなり始まります。
 
王の一存で清算されるということは、重要な気づきとなります。そのとき一万タラントンの借金のある家来が引き出されてきます。王に対する借金のように描かれていますが、いったいどうしたら一介の家来が、一万タラントンの借金をするというのでしょう。そこに至るまでにブレーキがかからなかったものでしょうか。
 
もちろんここで王は神を表し、家来というのは私たち一人ひとりの姿です。神はこの私という一存在に対して、どれほど膨大なものを貸していたのだろうか、ということ。あるいはこちらがそれだけの借金を負っているかということを覚えます。近現代まるで人間の側が神に対して貸しをつくっているかのような振る舞いを、そして勘違いをしています。
 
でもそれでは、この譬え自体がもう通じなくなってしまいます。私たちは神から借りているものを、突然清算すると言われても、返済できるものではありません。それはまるで、予測なしに訪れる死を意味しているかのようにも思えます。妻子財産を売っての返済請求は、人たる者のもっているものをすべて差し出せということです。
 
人がそれほど威張るなら、その持ち物で神に対する借りを返して見たまえというかのようです。しかし人は待ってくれと頼みます。これからどうやってその借りを返すのか、算段があったのでしょうか。ないでしょう。きっと返すなどというのは、いわば出任せに、自分の力に頼ってなんとかするとその場凌ぎの空威張りでしかないように感じます。
 
神はここで、憐れみを覚えます。一万タラントンをすら上回る憐れみが神には平然と出てくるものだということに驚かされます。家来を赦し、借り分を無しとしました。清算がいきなり始まったことも気にすべきですが、この憐れみもいきなり始まったことに気を留めたいものです。理由を探し審査したわけではなかったのです。


Takapan
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