天使の呼びかけ

チア・シード

マルコ13:24-27   


福音書のジャンルの創始者として、マルコが終末を描いたのも大変な試みであったことでしょう。これがマタイやルカに継承され拡大していったのだとすると、このささやかな章でも、その持つ意味は小さくありません。やがて黙示録へとつながり、いまの私たちが将来を信じ、希望をもつための礎石となったと考えられるからです。
 
このような日が来る。マルコは、旧約の預言の数々からこれらを描いているのに違いないのですが、この「人の子」に、明らかにイエスのイメージをのせているのがユニークだと言えるでしょう。天体は様相を変える。天がかつてと異なる姿を呈する。世界は一変してしまう。新型コロナウイルスが世界を変えたのよりも、もっと変えてしまう。
 
その時、人の子が雲に乗ってくる、とマルコは告げます。ダニエルを引き継いでいると思われますが、そこでは「人の子のようなもの」と記されていました。ここではもうはっきりと「人の子」と言い切っています。ダニエルではまだ隠されていた事柄が、イエスが現れた後の時代には、イメージが誰にも共通項としてシェアできるようになったのです。
 
マルコはこの人の子の姿を「人々は見る」と説いています。人々が見るのです。私たちのことです。人の子が来るというだけでなく、人々がそれを見るというところに意義があります。見た人々の中から、主に選ばれた人々がいます。世界の四方から、選ばれた者たちが、天使により呼び集められます。呼ぶというよりはいっしょにしていくという感じです。
 
天使たちが、神の命令を受けてこれを司ります。人々は人の子を見ましたが、果たしてこの天使を見るでしょうか。天使を見て、認識できるのでしょうか。恐らくそうではないように思われます。天使が自分を呼んでいるということをはっきりと認識しながら集まってくるのではなく、なんだか分からないけれど外からの力を受けていることは分かります。
 
いま天使が、私たちにすでに何らかの呼びかけをしているかもしれない、とは思いませんか。声にならない声を以て、私たちに心に呼びかけ、どうしてだか自分の意志としてそれを意識することはできないけれど、大いなるものに動かされているとだけ分かります。いま私たちに天使が呼びかけている。霊に動かされる私たちの旅路がここにあります。


Takapan
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