ベツレヘムの王の預言
チア・シード
ミカ5:1-4
ユダヤの地の中でも、「最も小さな者」であるベツレヘムでした。そこから、最大の王が現れるとされています。新約聖書の初め、マタイが引用していたこのミカ書は、キリスト者がクリスマスの時期にきっと注目する句となりました。「あなたから、私のために/イスラエルを治める者が出る」と預言され、そして、出ました。イエスの誕生物語です。
さらに、ルカが美しい物語に編集してからは、ベツレヘムの価値は不動のものとなりました。「その出自は古く、とこしえの昔に遡る」という辺りは、私たちに新鮮です。キリストなる存在が、世の初めから根拠づけられていることが、ここに明らかにされています。重要な注目点だと思います。ただの人間にだったら、なかなかこうは言えないでしょう。
イスラエルの群れは、たとえ散り散りになっていようと、この王の許に集まってきます。キリストの誕生によって、民は一つになろうとします。残念ながら、それはミカが頭に思い浮かべたように、イスラエルという民族を一つにまとめるべく集めることは、できませんでした。一旦バビロンから帰還したところまではよかったのですが。
確かに、実現は幻でした。しかし神は、この言葉に対して、驚くべきプロジェクトを準備していました。ユダヤの地のみならず、全世界の人々を集めにかかったのです。イエス・キリストを中心として、すべての人々へ福音が伝えられた末に、神の許に帰って来るというのです。そこにある王というのは、もちろんキリストにほかなりません。
キリストが立ち上がります。その言葉の内には、復活の力をも暗示させるものがあります。主の力、主の名の威光を帯びて、「大いなる者」となったこの王の権威は、「地の果てにまで及ぶ」ようになるといいます。ミカには、思いもよらずして、実のところ世界への詩の救いが及ぶのだ、ということをその手が書き記していたことになります。
キリストは「平和」です。アッシリアがたとえ攻めて来ようとも、恐れる必要はないと言います。「七人の牧者、八人の王侯」という表現が、実際誰を現しているのか、それは分かりません。しかし、キリストの許に働く勇者たちを想像させます。適切な人間を、その都度神は用います。そして、神の計画を実現するように、歴史を動かしてゆくのです。