平和の幻

チア・シード

ミカ4:1-3   


主の家の山が、どの峰よりも高くそびえる、という姿が描かれます。終わりの日の情景として、イザヤ2:2にあったのと同じ言葉です。川のように、国々または人々が流れてきて、「さあ、主の山、ヤコブの神の家に登ろう」などというのも、イザヤ2:3と同じです。ミカは、どうやらイザヤ書からそのまま引いてきたようです。
 
誰かが、このミカの預言の中にそれを組み込んだ、という可能性もあります。教えが、シオンのエルサレムから出ることも全くそうで、イザヤ2:4までがここに繰り返されていたことになります。それにしても、世界の国々の者たちが、「その剣を鋤にその槍を鎌に打ち直す」こと、そしてもはや「国は国に向かって剣を上げずもはや戦いを学ぶことはない」ことは、人類の理想であり、悲願ではないでしょうか。
 
国連ビルの建物の礎石に、この言葉が刻まれているといいます。なるほど、それも尤もでしょう。ヨエル書には、勇士を奮い立たせ「鋤を剣に、鎌を槍に打ち直し、弱い者にも「私は勇士だ」と言わせよ」(4:40)というフレーズがありました。これは戦を始めるためののろしのような叫びです。すっかり入れ換えたフレーズではありませんか。
 
時代的には、恐らくヨエル書が旧いと思われますから、ヨエル書の預言のままであってはならない、としたのがイザヤであり、ミカであった、ということになるでしょうか。戦いによって情況を打破し、主が怒りによりユダを救うのだ、と宣するための平和の理想を、もっと拡大しようとする預言者たちの祈りが伝わってきます。
 
拡大というのは、その平和が、全世界の平和のために、このイスラエルの主なる神がはたらくのだ、というところにまで、いわば昇華させていくことです。それは、口先だけの「平和」ではありません。好戦的で、偽りの神を騙る預言者を、ミカが強力に戒めている点も、よく弁えておきたいと思います。


Takapan
たかぱんワイドのトップページにもどります