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 女がいた謎に目を留めつつ

チア・シード

ルカ7:36-43   


イエスがファリサイ派との交わりもあったということを、信徒は忘れがちになります。いつもすべてのファリサイ派を敵視していたわけではないのです。ここでも一緒に食事を、と向こうから持ちかけてきています。共に食事をすることは、親愛の証しです。食事とは椅子に座ってでなく横たわり体が斜めに傾いた状態でしていたそうです。
 
そんなイエスの背後に一人の女が現れました。罪深い女というのはどこか婉曲な表現ですが、娼婦であろうと思われています。ここから先の出来事がなかなかショッキングなので、私たちは女の行動に目を奪われてしまうのですが、そもそもどうして律法の専門家とラビと見られたイエスとの食事の場に、娼婦と思しき女が入ることができたのでしょうか。
 
女のための席があったとは思えませんが、召使いたちが出入りする中に紛れ込んだのでしょうか。あるいはこうした場には誰でも自由に入り込めたのでしょうか。ファリサイ派の人は一目で女が何者であるか察知しています。特別に汚らわしいというふうに慌ててもおらず、すぐにつまみ出せという態度に出たわけでもありません。何故見過ごしているのでしょう。
 
女はイエスの背後からイエスの足に涙を垂らし、髪の毛で涙を、つまりイエスの足を拭い、イエスの足に接吻しました。そして香油を壺から注ぎ、その足に塗りました。室内には強烈な香りが充満したであろうと想像されます。一体食事の席で香水の匂いがぷんぷんと漂うようなことが、許されるものでしょうか。現代ならとんでもないクレームがきます。
 
それでも食事の主催者は、ただ見ているだけのように描かれています。解せません。イエスを先生と呼ぶために、もイエスにまつわるこの香油騒ぎを是認し遠慮しているのでしょうか。借金を帳消しにする、つまり罪を赦す譬えについて検討する暇もなくそこにこだわってしまいました。本当の説教はこの罪の赦しに注目しなければならなかったことでしょう。
 
50デナリオンの借金を帳消しにされた人よりも、500デナリオンの人のほうが、貸し手を愛するだろうということが暗黙の了解になっています。でも私なら、50デナリオンを借りた立場でも大いに感謝するでしょう。いや、その見方自体が間違っています。紛れもなく、私は事実として、500デナリオンの借金のあるその人物のほうに違いないからです。


Takapan
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