奇妙な光景

チア・シード

ルカ2:8-20   


羊飼いは、城壁都市の内に住まうものではなかったものと思われます。都市の中で暮らさない者が提供する羊などの動物が、都市の住人が、都市の内にある神殿での祭儀を支えていたことになります。それはよいのですが、その羊飼いたちが蔑まれ、その神殿での礼拝には参加できなかったのだとすれば、社会の不条理を覚えるような思いがします。
 
物語に登場する羊飼いは、羊飼いの中のほんの一握りには違いありませんが、これを象徴として受け止めるならば、神は不公正な社会の中にある一隅に、光を当てたことにならないでしょうか。それは夜の出来事でした。暗闇の不遇な羊飼いたちがいる辺りを主の栄光が照らしたのは、その光であると捉えたい気がします。
 
駆けつけるために、いくらかの距離はあったかもしれませんが、八日目の割礼以前に着いているので、特別に遠い旅ではなかったと考えられます。城門は夜には閉じられているのが普通ですから、羊飼いたちが都市に入ったのは、夜ではなく昼間だったはずです。およそ町の中を歩くに相応しくない連中が歩く、それは異様な光景ではないでしょうか。
 
羊などの家畜も連れられて来たでしょう。ああ、それなら食糧としての動物を連れてきたようなことと見られたかもしれません。当時の経済事情を私は知らないので、勝手な想像をしているだけなのですが、本当はそうした動物の取引は、城壁の外で行われたのではないかと推測しています。やはり町を闊歩する羊飼いは想像しにくいのです。
 
羊飼いたちは、「探し当てた」と書かれています。博士たちは、星に導かれてやってきたと記されているのに、羊飼いたちは探し当てたのです。ならばますます、町の中をうろうろさまよい、人に尋ね、それらしい子どもがいないのか調べます。産婆に臨時の出産がなかったか確認するなど、人々との慣れない接触があったのではないでしょうか。
 
こうした普通ではない光景を、ルカの記録通りに映像化すると、どうやら不思議なストーリーとして描くことになりそうです。人に尋ねた内容は、天使に告げられたヒントを頼りにするとなると、飼い葉桶に寝かされた赤児です。異常なヒントです。そんなことを尋ね歩くとなると、ますますおかしな奴らだと思われなかったでしょうか。
 
ですから、よくぞ見いだしたものです。探せ、そうすれば見出される。まさにそれが実現したような結果となりました。イエスの言葉の実践の先駆です。羊飼いたちは、なにもかもが天使から告げられた通りであったことを、人々に語ったそうです。マリアとヨセフにも話をしたでしょうが、町の人々に対して語ったのだと思われます。
 
羊飼いたちは、賛美をしながら町を歩き、こんなことがあったと人々に聞かせます。こんな者たちがいま私たちの町に現れたら、間違いなく異様なものと目に映ります。不思議に思ったと書かれていますが、驚き怪しんだに違いありません。そうなると、人々は信じたというのではなさそうです。神の生んだ奇妙な情景を、今日は想像してみました。


Takapan
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