アンナのリアリティ

チア・シード

ルカ2:36-38   


二人とも同じ場面で並べられているのですが、シメオンはよく注目されるのに対し、アンナはそうでもありません。シメオンは信仰深いそうです。でも、自身については年齢も立場もよく分かりません。シメオンについては、記事は細かな描写と対話や預言を通じてけっこう長くなっています。それに対して、アンナについては実に簡潔です。
 
しかしアンナについては、やたら詳しい人物像が描かれています。アシェル族のファヌエルの娘であり、女預言者であるといいます。嫁いで7年後に夫が死に、今や84歳に達したという身の上がやたら詳しいのです。しかもこの長寿にも驚くばかりです。さらに神殿に留まり、断食と祈りを以て神に仕えていたという日常まで、詳しくレポートされています。
 
だのに、イエスに対してアンナがしたこと、言ったことは、殆ど何も情報がありません。イエスに地下より神に感謝を献げ、人々にこの幼子のことを語った、とあるだけで終わりなのです。幼子のことをどのように語ったか、そんなことさえ分かりません。これではまるで、アンナのプロフィールの紹介がしたかったかのようではないでしょうか。
 
つまり、シメオンの場合は、イエスのことをなんとか言おうとして、マリアへの預言のようなことまで語り、とにかくイエスにいての情報をここに置きたかった様子が窺えますが、アンナについては、イエス自身への関心が見られないのです。だとすれば、これはやはりデータ豊かなアンナという存在を、なんとかして用いようとしているに違いありません。
 
つまり、よく知られたあの女預言者アンナも、イエスの宮詣でのときに接触があったのだよ、という触れ込みです。もちろん、これは私の推測に過ぎません。この数字も意図的に見えます。7年間というのは神の完全数。これに人の完全数である12を乗じると、84になります。これがこのときのアンナの84歳という、わざわざ記した年齢になっています。
 
イエスと出会ったこの人は、7×12=84 の式の中にすっぽりと入っているのです。「エルサレムの贖いを待ち望んでいる人々皆に」イエスのことを語ったといいますが、ここに、人の完全数12があると見るのは、衒学趣味でしょうか。これだけの数字の関係を、ただの偶然の産物としてルカも気づいていないとすることのほうが、難しいと思うのですが。


Takapan
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