聖書からの言葉

チア・シード

ルカ2:15-20   


メシアの誕生を知らされた羊飼いたちが、救い主を訪ねます。それは命じられたというよりも、あなたたちは見つける、という予言の故でした。これから未来に見つける、という言葉だけ告げられたのであり、命令ではありませんでした。しかし、羊飼いたちは「さあ行こう」とばかりに立ち上がりました。この信仰と行動とを受け止めたいと思います。
 
その行動とは「急いで行って」「探し当てた」ということです。もう一度見ましょう。未来のこととして告げられたことを聞いて、急いで行くことにより探し当てた、というのです。聖書から神が私たちに、未来のこととして与えたことを、私たちがどのように聞き、どのように対応するかを、端的に見せてくれているのではないでしょうか。
 
今また神は、私に与えています。あなたはこれからこうするのだ。それに応えて私は急いで行く備えがあるでしょうか。そうすればそれは実現するのです。さあ見出したとなると、次に羊飼いたちはどうしたか。天使から告げられたことを人々に知らせた、というのです。天使の言葉がすべて真実だったので「神を崇め、賛美しながら帰って行った」のでした。
 
また振り返りましょう。事が実現したのを目撃したら、人々に知らせます。それから、神を賛美して元の生活に戻るのです。浮かれて妙なことに暴走したのではありません。落ち着いた元の生活を続けたのです。しかし、魂まで元に戻ったというわけではないはずです。羊飼いたちは、変えられました。間違いなく、その後の人生が変わったと思います。
 
もう、それまでと同じでいられるはずがありません。神と出会い、救い主に会ったからです。この事情は、マリアを、つまり救い主の当事者をすら、深く考え込ませました。イエスの側からしても、心に留まる出来事となったように見えます。「見聞きしたことがすべて天使の告げたとおりだった」羊飼いたちの体験は、いま私にも起ころうとしています。


Takapan
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