歴史

チア・シード

ルカ2:1-7   


ルカは歴史をよく調べたと言われます。福音書の初めにも自らそのようなことを記しています。ただ、ルカはイエスと直接会っていないと思われます。ルカ伝が成ったのはイエスが産まれてから70年以上経ったころです。まさに、私たちが太平洋戦争の時のことを調べようとしているのと似ています。昔は時の流れが緩やかだと言われても、情報とその伝わり方が違うので、言い伝えを経ないとなかなか正しい記録が手に入りません。
 
ルカの描く歴史は、その後私たちの手による歴史研究の結果とは相容れない部分が多々あると言われています。現代人から見れば、ルカの書く歴史には信憑性がないともされます。では、その時この記録には価値がないのでしょうか。ヨセフがダビデの家系に属し、ベツレヘムに旅したことも、史実ではない脚色に過ぎないのでしょうか。
 
そもそもルカは何のために福音書を書いたのでしょう。マルコが画期的に生みだした福音書というジャンルに飛び込み、改訂を試みたのには、目的があったことでしょう。様々に推測されています。記事にも様々な疑問が寄せられます。住民登録とは、臨月の女性をも連れ出す必要のあるものだったのか。出産が予想される旅となるのに宛のない宿などの綱渡りを選んだのはヨセフの行動力からして相応しくないのではないか。
 
「初めての子」をマリアは産みました。フランシスコ会訳は、ここに突っかかります。この語が、他の兄弟の存在を暗示しているように読む人がいるが、出エジプトや律法でいう初子を言っただけだからイエスに兄弟がいると決める証拠にはならない、と。そこは信念がありますから必死です。
 
ルカの描いた、赤ん坊を布にくるみ飼い葉桶に寝かせたという記事から、私たちは無数の黙想を得るわけですが、どうしてこういう断片だけを、どのように知って遺したのでしょう。何かしらもったいぶった書き方のように感じられてなりません。宿に泊まれなかったことが、要するに居場所がなかったというふうに私たちは受け止めますが、属する位置をこの世にもてなかったイエスが、十字架にやっと居場所を得たというような流れになる福音書は、なんと残酷に人生を描いていることかと辛くさえなります。
 
でも、そのようにイエスにさせたのは、私たちであり、この私です。ルカが調べた歴史は、人間の気に入るような歴史ではなかったかもしれません。この飼い葉桶の中のイエスのところに、すぐさま羊飼いたちがやってきます。近距離であったことと、羊飼いたちへの知らせがリアルタイムであったことを表します。このようなドラマチックな歴史は、いま私たちの許で起こる救いの奇蹟の出来事として、生きた歴史となっているのだとも言えるのです。きょう、救い主が生まれ、きょう、救いがくるのです。


Takapan
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