聖書の言葉の実現を待つ

チア・シード

ルカ24:44-49   


イエスが天に挙げられる前のことです。使徒言行録の記述によると、復活して40日の間、こうしてイエスは姿を現し、弟子たちに教えて語ることがあったということです。かつて語っていたではないか。イエスは弟子たちに想起させます。「モーセの律法と預言者の書と詩編に書いてあることは、必ずすべて実現する」と言いました。
 
それは、まずイエス自身によって成就されたということになります。しかし、「聖書を悟らせる」ためには、さらに弟子たちの心が開かれなければなりませんでした。そこで言うことには、「メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する」に始まり、ルカらしい「罪の赦し」「悔い改め」が「すべての民族」へと宣べ伝えられるというのです。
 
そのメッセージが付け加えられなければなりません。文脈からすると、これは聖書にすでに書いてあることのように読めます。ルカは、すでに福音書とその続編の使徒言行録とを形にしています。少なくともマルコ伝は周知のものであったと思われます。旧約聖書に直接書かれてあることではないなら、それはマルコ伝を指しているのでしょうか。
 
でも、このルカ伝のことを言っているのではないか、と私は考えています。現代的な感覚からすると、それは奇妙に見えるかもしれません。でも、キリストの証言の書として著したこの文書自身が、こうして命の光を放っていればよいのです。「あなたがたは、これらのことの証人である」と弟子たちへこの言葉が向けられました。
 
が、私たちへもこうして届けられています。キリスト者は、キリストの復活を知り、復活のキリストと出会いました。自らの罪を知り、悔い改めて神に立ち帰り、赦しを与えられました。確かにそうだと、命を懸けて証言するように立てられました。さあこの場に留まり、力が注がれるのを待て、と命じられました。待ちましょう、聖霊を。


Takapan
たかぱんワイドのトップページにもどります