ザカリアの事件

チア・シード

ルカ1:5-25   


ルカの筆致は、やけに細かい。祭司ザカリアが、どこまで洗礼者ヨハネの誕生について関わっていたのでしょうか。これほどのドラマがあったのなら、どうして他の福音書記者はそれを使わなかったのか、あるいはマルコも後からこれを知ったのか、マタイもこの資料を使い損ねたのか、マタイは律法に関係ないことには興味がなかったのか、不思議です。
 
ルカは、イスラエルの国から異邦世界へ福音が及ぶ視点を明らかにもっていました。祭司ザカリアは、祭司の細かな規定の中で、極度の緊張を強いられていたことでしょう。生涯一度かもしれない、主の聖所で香を焚く務めにあたったのです。主の天使との出会いは、その時でした。天使と対話できる者は、聖書の中でも限られています。
 
ルカは、ヨハネの誕生にも天使の関与において説明をしました。子宝なき年寄り夫妻のもとへ子どもが産まれるという知らせは、アブラハムの場合もそうであり、子を産めぬ女への風当たりの強い時代に、神の助けの一つの形であったことでしょう。マリアもそんなことがと疑いましたが、ザカリアだけが、口が利けなくなるという束縛を受けました。
 
信じなかったというだけの理由では納得しづらいような気もします。天使は、神の言葉のメッセンジャーです。その言葉は、時が来れば必ず実現する性質のものです。口が利けぬことは、子の中をヨハネだと書き記すための布石であったかのようです。ザカリアは、変えられたその姿で人々の前に姿を現します。人々は、ザカリアが幻を見たと察知します。
 
どれもが不思議な経験です。そのまま神殿の務めを為し終えたのも不思議です。ザカリアは喋ることができません。ただ妻エリサベトは、一人喜びの内にありましたち。子を得るとは、恥が取り去られることになります。天使は、ヨハネについて、ナジル人のような説明をしていました。後のヨハネはエリヤのようでもありました。美しいルカの脚色です。


Takapan
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