王位継承の物語を描くルカ

チア・シード

ルカ19:11-27   


タラントンの譬えに似ています。ルカは、マタイのように天の国のために語るイエスを描きませんでした。譬えは譬えですが、マタイのように目的を明確にしなかったのです。しかし神の国がすぐにでも現れるかどうかには関心をもっている様子が窺えます。イエスはエルサレムに近づいており、そのことと関わらせてルカは説明を施すのです。
 
人々がイエスのエルサレム到着を、メシアが来ること、即ち神の国・神の支配の実現を意味するものと考えていたかのようですが、訳しようによっては、イエスがエルサレムに入城したところで神の国が来るのではない、というような言い方にも聞こえます。そして王位を受けるため身分の高い人が遠い国へ旅立つ設定からこの譬えは始まるのです。
 
王位というところがマタイにはありません。この王位継承者を市民が憎んでいたというのもショッキングです。譬えの本質を揺るがしかねない情況が作られています。いったいこれは何なのでしょうか。マタイのタラントンは額の大小とは別に、才能を意味するようにも向いていた譬えですが、ルカはそもそもそういうところを臭わせることがありません。
 
市民はこの王位について反対であり、一ムナをただ保持していただけの者を、刈り取るだけの者と見なしたときも、王を厳しい者と見たからだとしています。それでいてこの僕たちは、ご主人と呼んで敬うしかありません。王になるのを望まなかった者どもは敵であり、撃ち殺す相手となりました。非常に酷い結末が待ち受けています。
 
イエスはエルサレムで憎まれました。ユダヤ人に殺されるのです。異邦人へ福音をもたらし、神の国は異邦世界でこそ実現することへと目を移させたのがルカです。イエスはやがて王位を受けて戻ってきます。復活と昇天、そして再臨へと、最も期待をかけ、描き出そうとするのがルカであり、世界宗教としてのキリスト教となってゆくのです。


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