エレミヤの幻を受け継ぐ

チア・シード

エレミヤ33:12-16   


エレミヤは、エルサレムが滅びる幻を見ていました。が、そこから立ち上がります。さらに、死んで蘇る町の幻を、神から見せられています。そこには、人も獣もいません。否、今エルサレムが正にそういう情況なのです。荒れ果てた地が、待ちが、再び羊と人とに満ち、にぎやかさを取り戻す時がくるのだ、と言っています。
 
実のところ、人がまるでいない、などということはないでしょう。エリートたちは捕囚となり連れ去られたに違いないにしても、下々の者はイスラエルの地に置かれていたはずです。ただ、まともな統率機構はなかったかもしれません。羊飼いのいない羊たちという有様であったと言えるでしょう。イエスはそうした民を見て、涙したのでした。
 
羊飼いが現れるならば、羊たちは一つの群となります。だからイエスがその羊飼いとなって、ユダヤの民を一つにするのだ、という未来が言われていたわけです。ルカも、このエレミヤ書を知っていたはずです。イエスも、エレミヤと同じ幻を知っていたのであり、人々を救いの国に導く役割を、自分が執るのだと自覚していたと思われます。
 
すでに語った恵みの約束を、主は果たすのだ。エレミヤが預言します。正義の若枝がこの地に現れ、公正と正義が実現されるのだ、と言います。正にイエスがそれでした。ルカはそう信じたに違いありません。ルカは特にエルサレムにこだわります。エルサレムの平和が実現するという預言は、この後イエスの時に、確実にエポックを迎えたのでした。
 
しかし、最終的なその実現は、イエスが再び現れる時を俟たなくてはなりません。イエスの死と復活を経て、人の罪の処分が決まり、救いのプロセスが果たされます。然る後にエルサレムは新しい神の都となるのです。エレミヤ自身は考え及ばなかったでしょうが、救いの歴史を私たちは知り、再びイエスが来るのを待つことになるのでしょう。


Takapan
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