回復と報いの新しい見方

チア・シード

エレミヤ31:27-30   


「その日が来る」――30章の初めから、回復の時が予告されます。31章になると、「その時には」(1)とも言われますが、ここでもやはり「その日が来る」と始まり、この直後からも繰り返されます。「その日が来る――主の仰せ」として、主からの宣言が記されます。「イスラエルの家とユダの家」双方に主の言葉は向かいます。どちらも回復する、と。
 
「人の種と動物の種を蒔く」というから、まるで植物扱いです。豊かな土地に植えられる、というように、土地との結びつきが示唆されていると言えるでしょう。神の国という表現は、支配のことだ、と抽象化されて説明されることが多いのですが、やはりもっと実際の土地のような具体的なあり方で理解する方がよいのではないでしょうか。
 
これまでイスラエルとユダを主が見張っていたのは、破壊を目的としたためであったように見えます。けれどもいまや「建て、植えるために」見張るのだ、と言っています。新約聖書では、教会を建て上げることがその先に見られています。もちろん、それはただの建物や住まいのことではありません。キリストの体として建つことになるのです。
 
強固な地盤がそこに期待されます。そして、植えられて根を張ることによる、土地との結び付きが生まれます。エレミヤに与えられた幻は、希望を映し出しています。「その日には」と打ち明けられる姿は、日本の諺なら、仏教用語を用いて「親の因果が子に報い」というものが、もうイスラエルには持ち出されまいとするものでした。
 
そもそも十戒の中に、偶像に仕えるようになると、「父の罪を子に、さらに、三代、四代までも問う」(出エジプト20:5)とありました。同様に、再度十戒を掲載した申命記にも、そういうことが記されています。他にも民数記にも同じようなフレーズが見られます。旧約聖書の神が、厳格な怖い神だという見方をする人がいたのも、さもありなん、です。
 
けれども同時に、主を愛しその戒めを守る者には、「幾千代にもわたって慈しみを示す」(20:6)というようにも告げられていました。これは、ダビデからの血統で、イエスへまでつながるもののことを指しているようにも思われます。でもやはり、「人は自分の過ちのゆえに死ぬ」ことこそ、ベースにあって然るべきでしょう。それがエレミヤの警告です。


Takapan
たかぱんワイドのトップページにもどります